なんか、こんなこと書くと
えらそーというか
おっさんくさいというか
抹香くさいつーか
停滞してるだけじゃないのとか
自分をごまかしてるんじゃないのとか
いろいろ自分に突っ込みいれたくなるけど、
いまこの瞬間に限っていえば、
欲望って、自分を限定してしまう
と思う。
和尚の弟子に1988年になってからずっと、
欲望というは、ぼくのテーマであって
欲望を抑圧してはいけない、
という和尚のメッセージがいつもあって
自分のいろんな欲望
とくにメインは
性欲
快楽欲
創造欲
お遊び欲
あほ欲
(だったら地道な昇進欲とかあればよかったのに、、ぶつぶつ)
等々あって追求するなかで、何度も天国、昇天もしいしい、いろいろ大変な目にもあい、大変な目にもあわせ、そのひとつのピークとして、去年のうつ病もあった。
欲望というのは、自分を限定するな、自分を縛るな、
という実感が、やっとこのごろ出てきた。
いまでも
あほで
すけべで
快楽すきで
あそび好き
なんだけど、
つまり普通の人間ということだけど、
欲望というのは、今この瞬間に満足してないで、未来のどこかの世界に天国があるよ、きみきみという甘いささやき、ではないか。
その甘いささやきに誘われるままいろいろ経験、体験し、その繰り返しをえんえんと繰り返し、最近、やはり欲望は、わたしのいまここでの自由を束縛している、美しい仮面を被った抑圧者、ペテン師やないか、と思い至ること少なからず。
欲望のあま~いあま~い耳元のささやきに耳をふさがずに、
欲望という手錠・拘束衣・鎖・貞操帯から解放されたら、
いまここのわたしというエネルギーがどうなるのか。
それが、エクスタシーの道の次なる展開か、
はたまた単なる世迷いごとか、
自己満足の思い込みか、
ま、観てみましょう。
とそんなことでも忘れぬうちに書いて、
今日はこれにてごめんつかーさい。
ただの快楽じゃやだ、
あらゆる瞬間が気持ちよくなくちゃやだ、
という
めちゃくちゃ欲ぶかいつー話もあるが
それはそれ
もともと和尚の出会ったのも、自分なりの快楽を追求してきた結果であったわけだし
蛇足がすぎた
らぶ
うーん
なんとなく分かったような、
分からなかったような…
だけどあたし自身は自分を
満ちることは無い
と思っております。
それも自分の貪欲加減からきておるのでしょう、
とも思ったりもいたしまっする。アイ。
いいねいいね
あぁ・・確かに欲望って縛ってるかも
いいねいいね
real hippie,ukiha
コメントありがと。
宇宙は流れて、よどまずに流れていて
欲望とは、流れている前を見ずに
流れ去った後ろを振り向くことかもしれない
そしてその瞬間、
宇宙の流れを逃してしまう
流れは止まることのない
永遠のダンスで
もちろん
これで終わりという
終着点はないんだろう
いやそれさえわからない
未知なる世界がただ広がっているだけ
らぶ
いいねいいね