インド、バンガロールで開催された<A
href=”http://www.ccs2004.org/ccs_conference_program_speakers.html”>「企業文化と霊性」
に、97年度ノーベル経済学賞受賞したマイロン・ショールズ教授も参加していた。
カオスに立ち向かうとき、わたしたちのリソースは唯一チームワークしかない。そしてそのチームワークを生み出すのは、人間のスピリチュアリティ、霊性なのだ、と彼が語っていたのが印象に残っている。
では、スピリチュアリティ、霊性ってなんなんだろ。
3日間の会議中、ただでさえできない英語に、さらにインドなまりの英語が追い討ちをかけ、頭がいたくなって、へとへとになって、ほとんど何ものこらなかったというのが、現実なんだけど、その間、いろいろな人の口から繰り返し語られ、テーマにもなっているスピリチュアリティ、霊性ということばが指しているもの。
性善説。
というのってどうだろう。人は生まれながらにして善である。
そのことをスピリチュアリティ、霊性と呼ぶ。
企業文化と対置するとき、なんだか自分にはこれがしっくりくる。
性善説に基づいた企業活動、ビジネス、それが21世紀に生き残る、発展する。
簡単すぎる報告ですみませぇ~ん。
たぶんそう言う事でしょうね*
利潤が地球、宇宙にまで循環できるような。。。
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おお、
> 人は生まれながらにして善である。
> そのことをスピリチュアリティ、霊性と呼ぶ。
って、クイックリリースというか、意識のマトリックスのベースだね。
っていうか、瞑想家/神秘家のベースのかもね。
「善になる」でも「悪を退治する」でもなくて、
単に善である事が目覚めるというか、抑圧されていた善を自由にする。
「善になる」でも「悪を退治する」だと、マインドは律するために大忙しになるけど、
そもそもが善なら、マインドの邪魔が止まれば良い話になるもんね。
内側に神や仏陀が住んでいるんだって言うのは、
「性善説」なんだね。言われてみるとそうだよね。性善説との繋がりを思い付きもしなかったけど。そうだそうだ。
「性善説」と言い替えてみると、「企業戦略」との結び付きもしやすいから、分かりやすい。
もしかして、オープンソースや、オープンコンテントも、「性善説」がベースになっているかも。WIKIを使ったオープンコンテントのウィキペディアなんかも、性善説がベースになっているよね。
人間は放っておいたら世界を良くするように生まれついている。だから、それを阻害しているものに頼らずに、それを促進する仕組みを用意するって感じかな?
そうして、その善き物が現れるように方向を調整するって感じか?
善き者を刺激する商品だとか?善き者を刺激する働く環境だとか。
なるほど、考えやすくなる物の見方をありがとう。
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タオさん おかえりなさい。
性善説。言われてみればなるほど。。。インドを経由すると、そういう風にシンプルになれるんでしょうか。インドに行ったことないので、そうなのかなぁと思いました。
タイトルの
静けさや うまれることば 無にかえり
も、いつもいいなぁと思います。
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タオさん、お帰りなさーい!
インド、行けてよかったですねー。
まだ日本時間に戻ってないかもしれないけど、
12月11日(土)、明日、和尚バースデーの集まりを、やります。
場所は中根住区センターでーす。
よかったら、一緒に歌いに、座りに、来てください。。。
らぶ
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和尚バースデーの集い、出たかった。。。うしゅま。3年ほど前だったかに、自由ヶ丘での「お金のストレス」に関するワークショップでお世話になりましたアカームです。
セトゥ。お久しぶり。オープンソースもウィキペディアも、性善説をベースにしているというのは、ぼくも同感です。放っておいても世界を良くしていく。その流れを促進する仕組みを用意するのが性善説とは、すごい信頼ですね。ウィキペディアを使うとき、感謝が起こる。与えるエナジーが感じられる。たぶん、そこに「与え/受け取る」の双方向的水平性の相互依存への信頼があるのかもしれない。キーワードは、無限供給、高次の喜び、感謝か。
タオさん、またインドに行ってたんだ。なんとまあ難しそうな会議に出てたことか(笑) でも、このテーマで、こんなにたくさん書き込みするくらい大事なことが、出てきたのよ。ありがと。
「企業文化と対置するとき、なんだか自分にはこれがしっくりくる。性善説に基づいた企業活動、ビジネス、それが21世紀に生き残る、発展する」
うん。思い出したのは、田坂広志氏(※註1)。『これから市場戦略はどう変わるのか』(ダイヤモンド社 2000年刊)では、「異業種連合(コンソーシアム)」について語っています。複雑系市場に対応して、これまでの「閉鎖系」「計画性」の企業提携は、「開放系」「創発型」の提携に取って代わられるべきだというのです。
しかも、日本は、異業種が手を組んでビジネスを行なうのが、苦手という悪しき伝統があるそうです。財閥系の企業グループが、気心の知れたグループ内でやろうという傾向のためらしいですけど。「その業種ならば、グループ内にA社があるじゃん」という役員の発言が出がちだと。
ここには、おそらく「信頼の欠如」があるのかもしれません。
「敵」というものが、「外部」にいつも「想定」されているんじゃないか。
「よそ者」意識というか、独特の性癖があるようですね。
そんな「幻想」が、日本人の集合無意識に巣食っているのかも。だけど、経済成長と企業の繁栄が、対立と競争を前提とするかぎり、勝利と富を手にするグループというのは、どこまでいっても、全体の部分にすぎないですから、真の調和力やネットワーク力にはおよばないでしょう。それにあらゆる歪み、ひずみ、不平不満とその抑圧、排除されたり、支配されたり、搾取された者たちの恨みや悲しみから来る否定的なエネルギーのマイナス影響を免れません。
つまり、「敵」というものに「おびえる」部分を克服しきれないかぎり、い
くら「コラボレーション」だとか、表面上の「企業提携」などと新しがって「徒党」組んでみたところで、またその連合力で他を圧倒したとしても、宇宙の進化の波には、絶対に乗り切れないのは、明々白々ではないですか。ただ、「疑い」「自己保存のための防御」(極限レベルは、口実を捏造しての先制攻撃などです)といった「性悪説」を超えることによってのみ、人類は、サステナブルな社会の到来を可能にしうるんでしょうね。
となると、……タオさんの言っている「性善説」(もともと中国の孟子が唱え、荀子の性悪説に対するものだったと思います。政治学の基本は、西洋のマキャベリズムで、これは性悪説としばしば同じ立場と見なされるものです。「核抑止論」なんかも、そんなところがベースとなっているパワーポリティクスの国際政治論とリンクしたものですね。そうか、権力とは、人間性悪説とセットの支配欲、権勢欲にもとづくものだったのか……)こそは、こうした「限界」を突破してゆくのに、非常に重要なものとなってくるのではないでしょうか。
(※註1)田坂氏のサイトURLのいくつか↓
http://www.hiroshitasaka.jp/home/index.html
http://www.bbt757.com/servlet/ShowLecturer?lecid=0180
http://www.1101.com/marugoto2/02.htmlhttp://www.1101.com/marugoto2/02.html
ちなみに、田坂氏の『こころのマネジメント-ひとりのメールが職場を変える-』(東洋経済新報社 1999年刊)もお勧めです。
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