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「魂の螺旋ダンス」あるいはグルについて

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著者の長澤さん、アビはこう書くことから、本「魂の螺旋ダンス」を始めている。


「魂は螺旋状にダンスしている。
円環状のダンスでもなく、直線上のダンスでもなく、螺旋状のダンスだ。ぐるぐると同じ場所を巡っているように見えながらも、すこしずつ階層を移して上昇している。魂は、踊りながら、渦を巻いて、舞い上がる。
私はこの書物で、人類の魂の歴史を螺旋モデルでとらえた上で、未来の精神文化についてのヴィジョンを描こうとしている。」

 

さて、この本を読んで、ぼくが一番知りたくなったことは、アビとOSHOの関係だった。
端的に言えば、この一点を除いては、内容に頷けたけど、とりわけ、アーノルド・ミンデルの「ワールド・ワーク」(ミンデルの「紛争の心理学 融合の炎のワーク」はすごくお薦め)には、強い共感を持ったけど、この一点に関しては、もやがかかった。

というか、強い違和感を持った。

 

グルイズム批判(個人崇拝への批判)の文脈で、OSHOとアビの個人的関係を語ることに、もちろん違和感ない。自分の中の個人崇拝、盲目的しがみつき、権威主義を、グルと自分の中で見ることに違和感があるのではない。


それらを和尚に投影しているかのようにアビの書き方が読めてしまうことに、もやもやと違和感の原因がある。

和尚に責任があるかのように読めてしまうことにもやもやと違和感がある。微妙な問題だから、2度読んだけど、やはりそう読めてしまう。

 

グルイズム批判の文脈の中でだれがだれに責任を取るのか、ということでもある。

 

このことを展開していくと、実は、本の中で「すべては自己自身の選択の結果、起こっているのだ」というニューエイジ的な考え方の危険性を指摘するアビの書き方にまで、関連し、この本の書き方自体にまでさらに話が拡散するので、やはり、一番の違和感に絞りたい。

 

アビが和尚の弟子でないのなら、こういうことは多々あることなので、そっか、ですむのだけれど、アビがもしいまでも和尚の弟子であるのなら、あるいはすでに弟子ではなくとも、アビの他の文章を読んで、真摯な探究者であることは間違いないと確信するので、あえて、ここに自分の違和感を書いている。

 

グルとは自分を一点の曇りもなく照らし出してくれる鏡だと思う。


そのことを、しっかりと気づかせてくれたのは、去年、シュリシュリラビシャンカールというグルと一週間ほど南インドをまわる巡礼の旅を、ともにしたサジェッシュSajeshという若いインド人の友達だ。

 

グルはその人が見たいものをそのまま映し出してくれる。


グルは鏡、曇りのない鏡。

 

ぼくはそう思っている。

 

ここで言葉は尽きる。

それは論じることではなく、観ることだから。

 

魂の螺旋ダンス―はるかなる今ここへ

30 comments on “「魂の螺旋ダンス」あるいはグルについて

  1. yoshiro より:

    師に近づくことは、エゴの死だものね。
    近づいた者だけがわかる怖さ・・・
    逃れる言い訳はなんであれ、エゴは死にたくない
    と葛藤をはじめる。
    どんなにごまかしても、自分だけはごまかせない。
    すでに観照がそこにあるから・・・
    一歩、旅を踏み出した者は、だから後戻りできないんだね。
    (本を読んでもいないのに、いい加減なあたい)

    いいね

  2. abhi より:

    「魂の螺旋ダンス」読んでくれてどうもありがとう。
    うん、僕はOSHOの責任も問うているよ。
    ていうか、グルを「曇のない鏡」というような無謬のものとして、自分の側だけにすべての責任を帰する構造に対して批判的です。
    それだとそこにループが出来てしまって、永遠にグルの責任が問われない。
    空なる中心としての天皇制の構造もこれに似ていることに、僕は批判的です。
    僕はOSHOを(天皇も)ひとりの人間であり、友(マイトリー!)であると思っています。
    そう思って付き合うことこそ、ほんとの愛やと思っています。

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  3. yoshiro より:

    あらま、まさかご当人がお出ましとは・・・
    無責任なことを申してしまって、お許しあれ。
    営業妨害してしまったかもしれんし・・・(^_^;;)
    グル批判けっこうけっこう、天皇制批判けっこうけっこう、
    言論の自由ですからバンバンかましてください。
    ただ、世の中には「グル」という人はいませんね。
    まわりからOSHOと呼ばれている人はいますが。
    しかもこの人を近くでよーく観ていると、
    素通しの満月みたいで、濃厚な臨在がだけがあり、
    中心が消え去っていますから・・・
    これは構造として責任がこちらに来るというよりも、
    沈黙のシャワーとして至福がこちらに降り注ぐもの。
    もしそれがこちらに起きないとしたら、
    まったくもって自分の責任です。
    それでも、月や花に批判的であっても、ちょっと滑稽であるけれど、
    愛には変わりないと思います。

    いいね

  4. tao より:

    ヨシロー、コメントありがとう。
    合掌
    アビ、コメントありがとう。
    まず、ぼくが、アビの言わんとしていることを、誤読していたのではないということがわかり、ほっとした。
    OSHOも天皇もひとりの人間というのはその通りです。明々白々な事実です。その1人の人間である和尚とともにあったとき、自らのエゴが沈黙のなかに消え、愛の中に消えるという事実がありました。
    それが、OSHOというグルがわたしに見せてくれたものでした。
    アビは、和尚にどんな責任を問うているのですか。
    そのことが、本には書かれていなかったように思いますが。

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  5. abhi より:

    エゴが沈黙の中に消える次元というのは、ひとりひとりの深奥にあるよね。
    もちろん、OSHOの深奥にもあるけどさ。
    それとは別にOSHOにも僕らにもひとりの人間としての次元があるよね。
    それなのに究極的な次元をぜんぶグルに投影してしまい
    グルの人間的な次元に友として出会うことを止めてしまうのが
    グルイズムのひとつの特徴だと思います。
    OSHOの責任とは
    OSHOが、そういう危険性を繊細に回避するタイプでなかったことが、
    OSHOの周囲にも、グルイズムを生じさせてしまったということが一点。
    (このあたり、「弟子ひとりももたず候」と言い切った親鸞とは、ちょっと違う。。。)
    もう一点は、具体的な発言(核兵器についての発言、遺伝子操作についての発言、障害児を誕生時に殺すことを容認する発言などなど)や、
    ムーブメントの成り行きについて(特にオレゴンのコミューン崩壊など)は、
    「グルは常に無謬で周囲が勝手にやりましたー」というのではなくて、
    ただ普通に、発言内容や、指導者としての責任(少なくとも関係責任)を問いたいのです。
    「グルは鏡でしたー」では、ふつう、通用しないよね?
    天皇の戦争責任逃れと同じような「空なる中心の無謬性」というトリックが
    ここにあると思うのです。
    僕が言っていることは、ふつうのことだと思うんだけどなー。
    でもそのふつうの話が通じなくなるのが、グルイズムやカルトの世界だと思います。
    議論は続くかもしれないけど、信仰者(僕に言わせればグルイズムに陥っている)と、そうでないものの違いとして諦めてもらうしかないかもしれません。
    これ以上、話しても堂堂巡りかも・・・って感じたら、もうここに書き込まないかもしれないけど、そのときは、許してくださいねん。

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  6. Monju より:

    abhiさん、「弟子はひとりももたず候」と言い切ったはずの親鸞のもとに,世襲制の大教団が発生してしまったように、この世界というのは、語られた言葉通りに従うものじゃないからね……sohoが引き起した現象の結果は、まだまだわからないことが多いな。

    いいね

  7. abhi より:

    そうですね。だから「魂の螺旋ダンス」でも真宗教団のその後のことは、しつこく検証してしまいましたー。(読んでない人は、読んで読んで読んで。笑)
    ところでOSHOは、彼自身が「わたしにサレンダーしなさい」というような発言をよくする人だった。僕が親鸞と違うなあと思ったのはその点です。
    また僕にシャクティパットをしたグルマイというグルは、いつも自分の師匠のムクタナンダへの敬意を表していました。そのムクタナンダはそのまた師匠のニッチャナンダへの敬意をいつも表していたそうです。こうしてそのシッダヨーガの源泉は無限の過去に吸い込まれていく。これも個人崇拝の生じにくいひとつの回路になっていることはなっているなあと思いました。そのかわり伝統主義の弊害も感じることが多々あったのですが・・・。(このことも本に書いたよん。)
    OSHOは、反逆のブッダであるがゆえに(そこは大好き!)、彼自身が新たなる源泉となって、「わたしにサレンダーしなさい」と言ってしまった点が、シッダヨーガなどの「伝統に連なるグル」とも違うところだったなあと思います。
    いろんな人がいておもしろいね。グルだけではなく、とにかくいろんな人がいて、互いに照らしあっている。人だけじゃなく、すべての存在が照らしあっている。それがこの宇宙だと思います。それを「グルは曇りなき鏡」って、ぜんぶグルに投影するのは、僕には性に合わないのです。

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  8. Monju より:

    abhi. 僕が思うに、abhiやプラブッダやデヴァンたちプレム族というのは、惚れ易いんだよ。あんまし相手にのめり込んで、境界線がなくなりそうで、思わず引いてしまうんだと思う。けれども、別のタイプのひとたちにとっては、osho の“サレンダー”という言葉にそれほど振り回されず、そこそこ付き合いできちゃうサニヤシンも多いわけだから……自分のタイプからのみ、まわりを見ていると、思わぬところで勇み足をしてしまうんじゃないかな。自分自身のタイプからも自己同一化を離れたとき、初めて、ものごとが客観的に見えてくるとグルジェフなんかも言ってるけれど、最近、ほんとにそう思うようになりました。
    なぜにabhi が、矛盾だらけで、あまたあるoshoの表現の中のなかから、とりわけ“明け渡しなさい”という言葉のところだけに意識を張り付かせているのか、そのほうに興味があるね。

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  9. abhi より:

    ほらほら。
    僕もいろいろなことを言っているのに、
    それは探し出してでも問題化していく。
    OSHOの問題発言は、ありとあらゆるトリックを使って、
    問題化しないようにしていくんだよ。
    「それは、あなたを映し出しているだけ」とか、
    そういうありとあらゆるトリックを使ってね。
    サレンダーについては、グルイズムの問題性のひとつとして
    きちんと取り上げるほうが自然だよ。
    たしか、昔、アーガマで吉福さんなんかも、そこを取り上げていたな。
    それをプレムの性向のせいだとするのも、
    OSHOの言説の検討から離れて、
    個々のマインドの問題にすりかえるという
    トリックだと思うんだ。
    たぶん、何を言っても、「それはあなたの問題だ」と言うことで
    OSHOについての検討は永遠に避けることができると思うよ。
    何を言い続けても、
    返す刀でそう言われ続けることで、
    堂堂巡りになるだろうなと、最初から感じてしまうわけ。
    それを最初から、「それだとそこにループが出来てしまって、永遠にグルの責任が問われない」と言っているわけなのですが・・・。
    やっぱりそのとおりのことに・・・。
    ああ、既に消耗してきましたぁーーーー。

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  10. tao より:

    アビ
    どうやらアビは和尚と出会っても、肝心なことを見逃したようだね。そのことがよくわかるアビの一連の反応だった。
    「知的に理解する」
    「道義的に正しい」
    「合理的である」
    「批判的に理解する」
    「誠実である」
    「経験を普遍化する」
    これらの心的な態度に自ら立脚すること、それ自体が、エゴが生き延びるための巧妙な戦略になるということを、アビは見抜けるだろうか。
    和尚のメッセージは沈黙と愛だよ。
    Those who cling to my words miss me.
    わたしの言葉にしがみつく者は、わたしを見逃す。
    この言葉に、もし、アビが「それだとそこにループが出来てしまって、永遠にグルの責任が問われない」というような既成の答えで反応してしまうなら、自分のマインドに対して覚醒が足りないとしか言いようがない。
    そして、これらのことは、アビの個人的好みとかの問題ではなく、エゴの一般的な構造の問題なのです。
    これがアビのいう「普通の話」だとは思わない。ぼくも「普通の人」にはこんな話はしない。でも、アビが、和尚と出会った人であり、未来の精神文化にヴィジョンを描こうとしている人だから、敢えていいます。
    伝わればいいと思います。
    ラブ

    いいね

  11. ru より:

    こんばんわぁ~、
    なんか、こっちでも盛り上がって(?)るの?
    人事のようですが、楽しく拝見いたしましたぁ~。
    (*´Д`)
    私はアビの本、読んでないので、本については
    コメントはできましぇんが、
    私もたまにOSHOIZUMのような、グルイズムのような人に会うと
    違和感を感じることあります。
    (大体OSHOIZMは存在しないよね、ね、ね!?)
    でもOSHOがどう言った、ああ言った、
    とかで翻弄されてる人、たまにいますよね。
    OSHOの責任についてですが、
    OSHOは責任を果たさなかったのでしょうか?
    私にはそれの方が、疑問があります。??
    実際、オレゴンでの真相はどうだったのかも
    ホントのことって、知ってる人少ないよね。
    ちょっと本についてまだ読んでないので
    もしかしたら、的外れ?(・∀・)?
    グルイズムについては、OSHOはそうならないよう
    ありとあらゆる、混乱作り出してきたと思うんですが、
    なっちゃう人もいる、でも
    別に私はかまわない。
    だって世の中いろんな人、いるんだもんね、
    OK,YES、というだけ~。
    あ、ちなみにルーもプレムだよん:*゜・☆ヾ(TωT。)♪

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  12. akhila より:

    OSHOの責任、って一体何かな?

    いいね

  13. abhi より:

    沈黙と愛の次元は
    OSHOに限らず誰の深奥にもあるって
    最初から言ってるんだけどなー。
    人間OSHOの具体的言説や行動を
    批判的に検討したら
    肝心なことがわかってないって決めること自体
    グルイズムって感じがします。
    やっぱり堂堂巡りになったのでこのへんが潮時かな。
    ちなみに『魂の螺旋ダンス』は
    別にOSHO批判のために書いたものではないです。
    沈黙、愛、覚醒についても書いたつもりです。
    グルを曇りなき鏡とするのではなく
    すべての存在が
    互いが互いを照らしあい
    魂の螺旋ダンスをつづけているというのが
    僕のヴィジョンです。
    そんなすべての存在へのラブをこめて書きました。
    そんじゃ・・・。
    LOVE

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  14. akhila より:

    で、結局OSHOの責任って一体何かな? OSHOは無謬だというのはウソでしょう。英語もいっぱい間違えた(笑)オレゴンで弟子達の車と正面衝突しそうになったこともある(間一髪でセーフ)ブッダに限らず人間生きていれば間違いを犯したり事件事故に巻き込まれる可能性は常にあるということでしょう。それは生命に内在する限界です。
    で、アビはOSHOの何の責任を問うているのかが分かりませんので、いまいち論点が判然としません。

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  15. Monju より:

    abhi、確かに、プラブッダも、デヴァムも、アビも、惚れやすいタイプだと思うよ。プラブッだの初期の翻訳本でのアシュラムの紹介の仕方、デヴァムの意見書の中で著述されてるoshoへの傾倒の仕方、アビが自著の中で書いている神秘的な体験への吸引のされ方……ぼくにはoshoのグルイズム傾向に対して批判的な三人に、共通している資質があるように感じてるので、おもしろいなと思ってます。
    それに、惚れっぽいことが悪いわけじゃないし……アビ、自分が惚れっぽいタイプだってこと認めてもいいんじゃないの? プレム系のひとのすばらしい持ち味だと思うけれど。ちがう?
    ただひとつ思うのは、abhiのグルイズム批判の内実のひとつが、oshoが「サレンダーを求めた」というステージに釘付けに鳴ってしまって、それ以外のosho のことば……まったく正反対の、疑え、疑いぬけ、明け渡すな、が耳に届かなくなってしまってる感じがするんだよね。
    で、どうしてアビは、そうまでしてosho のことばの一断面にのみスポットライトあて続け、差騒ぎ立てるのか、何か別の理由があるんじゃないだろうかと思えてきてしまう。アビが書いたものを読むと、まるでOSHO が終生、明け渡せ、明け渡せと言い続けていた人であるかのように聞こえてきてしまうから……
    そしてそれはOSHOとアビとの関係ではなく、アビ自身が経てきた神秘体験とアビ自身の関係の反映であるというところが、どうやらミソなんじゃないだろうか。

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  16. tao より:

    アキラ、ご無沙汰。
    相変わらずのアキラの単刀直入、無駄のないものいい、アキラだね。らぶ
    アビ、もう少し深いところまで話しえるかと思ったけど、残念。アビのヴィジョンに反対したわけではないのだけど。ただグルは、鏡にするとかしないとかいう個人の選択、主観ではなく、事実としてグルは鏡だよ、とその一点を伝えたかったのだけど。だって、グルが自分の思いを投影している鏡であることが観えないで、どうやって互いが互いを照らし合っていることが観えるのか、という問いでもあるのだけど。
    それを批判ととり、グルイズムと名づけることこそ、教条主義なんだけどなあ。。。。

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  17. yoshiro より:

    こんばんは、アビ。
    OSHOの責任ということで、何を言いたかったかはわかりました。
    OSHOといえども、時代的潮流で大風呂敷を広げて見誤ったり、
    現在の常識からかけ離れていることを言っていることについて、
    意見を言ったりするのは、まったく問題ないと思います。
    で、この本の中でタオが指摘しているのは、
    一番の肝となるところで、グルイズムうんぬんというのは、
    どういう了見?ということだと思います。
    なにをどう言おうが批評家のつまらない話しになってしまうんですよ。
    同じようなことを多くの貧しい宗教学者たちが指摘しているでしょう。
    「山には危険がたくさんあるから遊んではいけません」
    と子供たちに言っているようなものです。
    そういう大人に、魅力的な人は一人もいませんよね。
    もしサレンダーが必要ないなら、師やマスターも必要ないでしょう。
    まわりの大自然が扉となって、一体へと溶けていけます。
    そもそも、そんな人はこの星に生まれ変わる必要すらないでしょう。
    師への信頼が熟成し、あるときサレンダーが起きるからこそ、
    伝授が可能になるわけです。
    サレンダーがグルイズムを生み元凶のひとつだから、
    それを強調すること自体が誤りだ、との指摘は、
    つまり知的理解にすぎないんですよ。
    そのことを体得していないで、内奥の沈黙といっても、
    説得力をもたないのでは?
    まだまだ愛情が足りないんじゃないんですか?
    どうせ批判するなら、せめてこれぐらいは言ってほしいなぁ・・・
     
        OSHOという いたずらものが 世にいでて
             多くの人を 迷わせるかな
        不生不死 言ってはみても 死ぬるなり
             OSHOもラマナも ねこも杓子も
              (一休道歌のパクリ・手抜き偏)

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  18. tao より:

    え~とですね、ごめん、アビ。
    アビのことわかってないと言った自分、これ、間違いですね。
    こんなこという自分って何様って自分で思いました。
    グルに対する捉えかたがちがう、ただそれだけのことです。
    こういう態度では、深いコミュニケーションを創っていけないですね。
    コメントをもらったヨシロー、アキラ、モンジュ、ルバイにもごめん。
    反省。仕切りなおしします。
    ラブ

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  19. kamakiri より:

    グルという絶対的なものにひかれる感じは、アメリカに住んでいてやはり絶対的な神や正義にひかれる人々をまわりに見ていて、なるほどと思います。それと足元の大地や海にひかれるのとは性向の違いかな。あびさんが新著で超越性宗教とシャーマニズム的なものを比較しているのもその辺と関連しているのかも。ちなみに小生は虫一匹見ると世界がとたんに生き生きと感じられてしまうので、シャーマニズム系かと。

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  20. らんじっと より:

    んー。本題はあとで読んでみます。
    とりあえずブログで、スレッド大繁盛すごいねー。
    おめでたう☆☆☆☆☆

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  21. tao より:

    kamakiriさん
    コメントありがとう。
    おかしかった。らぶ

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  22. akhila より:

    タオさん。
    >相変わらずのアキラの単刀直入、無駄のないものいい、アキラだね。
    どこかでお会いしましたかね?

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  23. tao より:

    アキラ、三木です。
    といえば、思い出してくれるかな?

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  24. akhila より:

    ぶは、そうか。じゃ下のほうに載ってる上半身裸の男前がミキというワケか???(笑)

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  25. タオ より:

    そうそう、でも、あれ、もう3年前ね。若干詐欺だな。顔は、毎年進化してるぜ(笑い)
    前に一度誘って、断られたけど、MIXIに参加しない?
    アビも参加したし、何せ、いまや50万人近い人が参加してるから、
    アキラのブログを見る人も増えるよ。
    よかったら、メールアドレス送って送れ。
    招待状送ります。
    らぶ

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  26. akhila より:

    MIXIとは何ですか? ミキがしてるからミキシですか? このページのコレのことでしょ?結局ブログでしょ。

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  27. tao より:

    だじゃれはおいておく事にして、
    ソーシャル・ネットワーキングサイトとかMIXIで検索してみて。
    「結局」なんて知らないのに、使っちゃうところは、アキラ、ちょっと
    注意かもよ。

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  28. akhila より:

    つまるところ(笑)ブログだな(笑)で、紹介メールが必要と。・・・じゃ、最初の人は誰に紹介してもらったんだろう???神様?

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  29. tao より:

    もういいっ!(笑)

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  30. Bhavesh より:

    偶然通りかかりで読んでしまった。今となっては懐かしい書き込みですね。この頃は、僕はあまりネット上のイベントに参加していなかったので、このような会話があったこと自体しらなかったけれど、今読んでもなかなか面白いね。
    abhiの本も一通り読んでみたし、ここに書いてくれた人々の意見も、だんだんそれぞれのキャラクターが見えてきた今では、なるほどと思うことが多い。
    たしかにモンジュのいうとおりプレム族のひとりとして僕も惚れやすいタイプのようだが、どうもグルイズム批判とやらの潮流は、組しかねるとずっと思ってきている。
    今日のところは、いろいろなプレムがいる、ということで、ヨロシク。

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