和尚OSHOのことば
笑う前に理由を探しいるうちは、あなたは決して笑わないだろう。
理由は苦しみに属している。幸せがあなたの本性なのだ。
理由は作り出される必要があるし、苦しみも作り出される必要がある。
幸せはある。
幸せはもうここにある。ただ、その幸せを明らかにすればいい。
人は完璧だ。ひとはひとつであり、自由だ。投影のみが、唯一の障害だ。
(「エンライトメント ただひとつの変革」市民出版)
わらいたいからわらうだけ
おなかのそこから
わらうだけ
なぜわらうのなんて聞かれたら
もっとおかしくなっちゃうよ
おなかがいてえよ
いてててて
てわらいごえかよ
わらっちゃう
日本にはあほというのがおるんですが、
あほにも理由はないらしいんです。
あほはただただあほらしいです。
和尚、知ってました?
合掌
タオさん、
狂言の笑いは、純粋に肉体的な「わらい:割れ」であって、理由を必要としていません。いつもそうだとは言いませんが、そういうあっけらかんとした、たっぷりとした存在感がある、そういう笑いがあります。川崎の狂言は演者がちょっとねえ。
あと、お知らせです。タオさんのサイトは文字が小さくて読みづらいという人が多いようです。フォントを大きくすればそれでいいだけなんだし、情報量を増やすにはフォントが小さい方がレイアウトにもいいのは分かるんですが・・・
一応お知らせしておきます。
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>幸せはある。
幸せはもうここにある。ただ、その幸せを明らかにすればいい。
ほんとうに。
これが私たちが神の館である所以でしょう。
私たちの肉体は、神が宿る神殿のようです。
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こんばんは。
理由のない笑い・・あかちゃんの笑いのような。
屈託のない・・
いっぱいごみがたまって
素直に笑えなくなっている
思い出したい あかちゃんの笑い。
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心臓が鼓動するのも、呼吸が生まれてから死ぬまで続いているのも、
意志のコントロールを超えているけど、ときどき起きる笑いという
のもそうだですね。
みんな命と直結している。理由を考えないといけない部分はつなが
っていない。
なんのとらわれもない素直なこころ。やってきた笑いを受け取る
ための空っぽのクリスタルボールみたいな。
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心臓が動くのも、呼吸をするのも、
意志の作用を超えている。
ときどきやってくる笑いも、
コントロールを超えたところからやってくる使者ですね。
天使のような生き生きとした、のんきな笑いを迎えて共鳴できる
空っぽなクリスタルボールのような、なんのこだわりもない
素直で至純な「ハイ」の心でいたいと思いました。
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すみません。最初の書き込みがすぐに反映されずに、
二重投稿してしまいました。二番目のが本稿です。
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ずっと前に何かの合宿?で、タオが私たちを駅まで送る車の中で突然
笑い出した。ただ、笑う。何もそこにはない。それを思い出した。
その時、私は理由もなしに笑う事なんて出来ないと言った。
でも、笑いに理由なんてない。
↑のコメントにあるように、赤ちゃんの笑い。
私もそれを思い出したい。
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