私心のない行いを本当の幸せに通じる道としてではなく、自分の幸せを犠牲にしていると見る人は、単に何らかのアイデンティティにはまっているだけです。 ハリー・パルマー
すこし補足説明があったほうがわかりやすいかもしれない。
アイデンティティとは、「自分は○○だ」という自分に枠をあたえる思い。
たとえば、「自分は日本人だ」とか「自分は男だ」とかもアイデンティティ。別に、思いが悪いわけではないが、それは、ひとつの思いでしかないことを忘れて、自分はその枠そのものと思い込んでしまうと、どんどん自分が限定されていく。
もう一度、最初のことばに戻ると、
私心のない行いを本当の幸せに通じる道としてではなく、自分の幸せを犠牲にしていると見る人は、単に何らかのアイデンティティにはまっているだけです。
はっと気づいたとき、いま自分はどんな枠にはまっていたのだろうと確認できるチャンス。そのはまっている自分に気づいたとき、すでに、無心の行いという本当の幸せを感じている自分に戻っている。
合掌
あびです。お久しぶり。ブログをつくったり、閉鎖したりを繰り返し、現在のブログは、「あびの万華鏡」http://plaza.rakuten.co.jp/abhiabhi/です。またよかったら、覗いてください。
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