今年で50歳になったのに、これまでほとんど人生という一回性の体験のなかで何も学んでこなかったような気がする。
長い間、人生への無意味感に苦しんだ挙句、1987年、突然の小悟を得て、翌88年、インドでOSHOと出会い、彼の臨在のもと無我の境地を味わい、エンライトメント、悟りを啓くことが自分の人生の目標になってしまった。
それ以来、日常の日々の人間関係の中で学ぶことを、どこか無視してしまっていた。至福、無条件の愛、絶対的自由の境地、、、そういうものにこまごました人間関係など関係がない、というような思い込み。
最近になって、日々出会い、言葉を交わし、頼みごとをしたり、されたり、お願いをしたり、されたりする個々の人、妻であり、子であり、会社の上司、先輩、同僚、後輩、仕事先の人、友人、知人との間で学ぶことの大切さを、やっと少しずつ解り始めてきた気がする。というより、いままでの長い間学んでこなかったことを最近になってやっとわかったという方がより正確だろう。
随分当たり前のことを、長い間の寄り道をしていま頃痛感しているのだから、恥ずかしいが、事実は事実だから仕方がない。
とともに、なんだか毎日のささいなことが新鮮で、ちょっとしたことにも学んでいる自分が、うれしかったりする。
どういう学びがあるのか、人には言えないようなものなのだが、本人はうれしい。
もちろん、めんどくさかったりもする(笑)
回り道寄り道小道これも道
おそまつさまでした。
そういえば、金子さんに、一番高いクリーム宇治金時氷をおごってもらった。
ごちそうさまでした。
お腹が冷えるかと思って、最初、クーリム白玉あんみつを注文したのですが、突然、啓示が降りてきて、あわてて立ち上がり、お店の奥に消えかかっていたおばあちゃんを「すみませえええん」と呼び止めて注文を変えてもらったのだ。
天からの啓示は間違いありませんでした。ぺろりでした。もう一杯いけたな。
たまには間違いますが(笑)
またまた脱線。
脱線だけが人生さ。
しゅっしゅっぽっぽっ しゅっしゅっぽっぽっ
「気づき」があっただけでも儲けもんですよ。
どこで気づき、行動をするかというところなのかも~うまくいえないけど笑。
あとでメールしますー(´・д・`)もきゅ
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