言葉はだれのものか
わたしの中から生まれた言葉はすべてわたしのものなのか
あなたの中から生まれた言葉はすべてあなたのものなのか
いったいだれが言葉を生み出しているのか
わたしの中のだれが
あなたの中のだれが
そのだれかは、小さなところに閉じ込められて息苦しいわたしでもなく、あなたでもなく、もっともっと深いところにある普遍的ななにかではないのか
そのとき言葉は詩になっているのではないか
そのとき言葉にできない普遍的なものがそこにあるのではないか
わたしでもなく、あなたでもなく、もっと自由で広大で美しく敬虔なものが
大峯顯 さんの「今日の宗教の可能性」に触発されて。
グルの言葉はとても深い感情を呼び覚ませてくれますよね。
グルジの本を読んでも意味がわからずにいて本を抱いて寝てしまう日を送っていました。
今は言葉を理解することより自分の経験においてその言葉が読みとれるようになりました。
ひとつになった時、あなたでもなくわたしでもなく自由で美しいものになるのですね。
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大峯さんは結構大胆ですよね。
教学研究所長やったときにある言葉で教団内に波紋を
広げました。
でも、僕はそれが共感できました。
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はにーさんは大峯さんに会いましたか。
ぼくは会ってみたいと思ってます。
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言葉も、小さなところに閉じ込められて息苦しいわたしも、あなたもすべて、誰の意思もなく、なにもかも起こっている。わ・た・しの意志も起こっている。だいいち「私」事体起こっている。「私」が存在に昇華することも起こること。その後に誰がそれを認めよう、もともとだれもいないのに。
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なるほどなるほど。
ナイスなコメントありがとう
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