9月21日から24日まで、宮古島から伊良部島に渡る予定だったが、なぜか、池間島に一泊、多良間島に2泊することになった。
宮古島に到着した初日、急に、翌日、多良間島に行くことにしたので、伊良部島に船で渡ることは中止して、猪子さんにいくつかの宮古島のウタキを栗原さんと一緒に案内された後、橋で渡れる池間島にレンタカーで向かった。4年ほど前に、滞在した尾崎さん宅に、午後6時頃突然お邪魔して、鍵のかかっている玄関ドアの隙間から、声をかけて、押しかけるようにして泊めてもらった。
到着してまずは、家のすぐ下に広がるビーチに下りて、だれもいない夕方の海で一泳ぎ。
前回の滞在で、シュノーケリングとスキューバでお世話になった芦川さんも夜、やってきてくれて、男3人で四方山話。
次の日、朝早く出発、池間大橋を渡って宮古島に戻り、平良港へ。そこで千恵ちゃんと合流し、フェリーに乗って2時間の船旅で多良間島に到着。前日の昼、宮古島についてから、前回の伊良部島の旅で知り合いになった千恵ちゃんを呼び出し、一緒に昼ごはんを食べていて、急にふたりして多良間島に行くことになったのだった。
港からレンタカーで島巡りを始める前に、まずはウタキでお祈り。丁度、地元のおばさんが掃除をしていて、良い旅になるように祈ってくれた。
それから、2人で珍道中。
彼女は、見た目も言動も少年そのもの。森を見ては、ひとりでどしどし歩いて行って、なにやら大自然からの気つきを次々と与えられて、はああ、と感嘆している。
なるほど、なるほど、そうなんだと一人で喜んでいる。
ウタキをめぐり、遠浅の海で遊んで、最高で標高35メートルほどでしかない平たい多良間島で一番高い宮古遠見台に昇り、海に囲まれた島全体を見渡す。そこでぐだぐだおしゃべりをしながら夕日が沈むの見て、宿に行った。
晩御飯を食べて、風呂に入って、家に携帯メールを送ったらすぐ寝てしまった。
翌日、朝日を東の海岸で見て、前日宿の人から聞きだしたシュノーケルポイントに行く。
信じられないくらい青くて澄んだ海が広がる。だれもいない。サンゴ礁が続く海でぷかぷか浮いて、それからふくぎの木の参道とウタキをまわって、午後2時の帰りのフェリーに遅れないように、最後はあわてて港に行ったら、
船がいない。
人もいない。
待合室もしまっている。
会社の電話番号に電話してもだれも出ない。
日曜日で、船が運休していた。
そんなばかな。
予定では、夕方、宮古島に戻り、そのまま伊良部島に渡り、猪子さん、栗原さん、そして丁度アメリカから遊びに来ているNASAに勤めている栗原さんのイルカつながりのお友達にも会えたら会って、できればNASAのディープな宇宙話を聞き、翌日、宮古島、東京へと考えていたのだが、船がない。
明日の船で宮古島に帰っても、羽田に戻る飛行機の便に間に合わない。
多良間島の飛行場に行ってみると、明日の朝の宮古島への飛行機便があるとうので予約をして、レンタカーは千恵ちゃんにフェリーで明日、宮古まで運んでもらうことにした。
そこで急に投げやりになった。
もうどうころがっても多良間島から脱出不可能なんだ。
気分はますます南国だあ!
もうお好きにということで、あとは、千恵ちゃんにお任せにして、もう一度、美しいサンゴ礁の海岸に戻って、ぷかぷかと海で漂い、ウタキをまわって、暮れていく太陽を拝み、宿に戻ったら笑われた。
そうだよなあ、日曜日はみんな休むんだよな。
定期船だって休むんだよな。
休まない方がどうかしてるよなあ。
飯を食い、風呂に入り、その後、庭で、ずうっと星空を見上げ、またもや早々と寝た。
翌朝、再び、海岸で日の出を拝み、サンゴ礁の海でぷかぷかして、空港に行き、千恵ちゃんにレンタカーを託した。
思ってもみなかった旅にお互い笑いあって、ディクシャをして、お別れ。
彼女はしばらく宮古島で料理やものづくりにひたすら没頭するのだそうだ。
大家さんがひきこもりじゃないのかと親切に心配してくれるのが、困るって言ってた。
49人乗りの双発プロペラ機で宮古島に到着すると、猪子さんと栗原さんが迎えに来てくれた。平良港のホテルで島尻シェフのランチ・バイキングを食べながら、今回の旅はこういう流れだったんだねえという話。
ディクシャを二人に受けてもらって、宮古から那覇、那覇から羽田へと乗り継ぎ、妻にピックアップしてもらい、自宅に戻った。
そうそう、鈴木くんから教えてもらった小沢健二さんの連載物語「うさぎ!」がすごい。
現在連載第8回が終わったところ。
仕事においてぼくはいつの間にか堕落していた、と激しく目を覚まさせられるような衝撃をうけた。
(堕落も何も、それより前に一人前に働いてみろ!という意見はごもっともではあるが、ここではそれは言わないことにしておいてくんなさいって、一体お前は何者だ)
現代世界の消費生活がいかに地球と人々を暴力的に搾取することで成立しているか、また商業主義がそのことを狡猾に美辞麗句と美しいイメージを通して、いかに情報操作し、隠しているか。緻密な文献調査で、事実を丹念にひろいだし、つなぎ合わせ、その実体を客観的に浮かび上がらせる。と同時に、瑞々しく静謐で素直な文体がおりなす物語は、なにかいいようのないものを伝えてくるのだ。
いてもたってもいられないような気持ちになる童話だ。
この世界で鈍感に生きるていることを純粋な瞳と声で突き刺してくるのだ。
現実に目覚めよ。
この世の悲惨で目を覆いたくなるすべてのこととわたしたちは否応なしにつながっている。
それは紛れもない単純な事実なんだ。
おおげさでも誇張でもなくて。
喜びも悲しみも感じずにはいられない生き生きとした心を、呼びさます声なのだ。
この現実に目覚めよ
って「うさぎ!」は言う。
鈴木くん、ありがとう。
そう、ここのところ、ぼくは鈍感に寝入っていたのではないかとひどく反省した、と鈴木くんを前に率直に告白してしまった、そんなような物語だ。
ベネズエラのチャベス大統領も「うさぎ!」の中にほのめかされている人物だった。
プレイステーション2や携帯電話と350万以上の人が殺されたコンゴの内戦が直接につながっていることなども「うさぎ!」は、少年と少女の純粋なごまかしのないまっすぐな声で伝えるのだった。
千恵ちゃんもぼくが持ってきていた「うさぎ!」のコピーを多良間島で熱心に読んでいた。
でも、自分は、こういう表現
はない方法で、自然が自分に伝えてくれることを人に伝えたいとも言っていた。
それもよくわかる。
それは男性的表現と女性的表現の違いとも言えるかもしれないが、そういう単純なことでもないのだろう。
自分の中での揺れもこういう部分と関係があるのだろう。
このあたりのことはもっと考えみたいのだが、いまは眠たいのでここらあたりでやめておこう。
明後日から、4泊5日で屋久島に行ってきます。