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ヒロシマ

GW中に、妻と娘と広島を回った。


原爆ドームと平和資料館を見せたかった。


ぼくが始めて原爆ドームと平和資料館を見たのは、中学の修学旅行だった。人間が人間に行った行為の計り知れなさに言葉にならないショックを受けた。


2度目に行ったのは、仕事で付き合いの会った広島出身の人の結婚式に呼ばれたときだ。中学生の時には見えなかった、絶望的な悲しみの底から湧き上がってきた人々の祈りが、そこにはあった。圧倒的な破壊に対して、繊細で悲しみに満ちたしかしどこまでも深い祈りがあった。それは今後70年は一切の生命は再生されないであろうといわれたヒロシマの死の瓦礫の地に、1945年の秋に咲いた一輪の花のようであった。


3度目は、ディクシャインストラクター向けの会議が、ヒロシマ・ナガサキへの鎮魂と祈りのために行われた時だった。4日間の会議中、毎日、原爆ドームに通い、そこに臨在する祈りと共に時を過ごした。自分自身の苦しみをそこで癒されるような時間でもあった。朝、近くの職場の人たちが掃除をしていることも知った。


今回、GW中に行くと、平和公園は大勢の人で溢れていた。フラワーフェスティバルというお祭りがにぎやかに催されいた。大音響の音楽が流れ、人々は楽しげに歩き、踊り子たちが次々と道路の上を進んでいく。


平和資料館も人で溢れていた。親子連れ、アベック、おばあちゃんと孫娘、車椅子を押す孫。妻も娘も目を真っ赤にしていた。広島に行ったことがないという二人を案内できてよかったと思った。


ヒロシマに向かう直前、ワシントンDCに末の息子と一緒に行くという兄貴と携帯メールでやりとりをした。


ヒロシマに行って原爆ドームを家族に見せるつもりと送った。


「それはいいね。きっと何かを感じるね。ぼくは息子にエノラゲイを見せる予定だ」と返信メールが来た。


不思議な感じであると同時に、納得する感じもあった。


 


Frederik Soddy “Wealth  Virtual Wealth and Debt” と札幌で石田梅岩「都鄙問答」(岩波文庫)と一緒に買った本居宣長「うひ山ぶみ」(講談社学術文庫)を読んでいる。


 


 


 


 


 

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