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意識の世界と客観的な世界では努力が違う

ワンネスユニバーシティでは、内側の世界(=意識の世界)と外側の世界(=客観的な世界)をきちんと区別してくださいと言います。

私はこの内側と外側の区別をせずに長い間混乱していましたが、この教えに出会うことでクリアーになりました。

外側の世界は何事を達成するにもそれにふさわしい努力が必要です。
目標を設定し、適切な努力を精一杯します。
論理的・合理的に思考を使って、何をすればよいか、何を必要とするか、検討し、実行していきます。それが外側の世界における努力です。
ただし結果、成果は、自分が完全にコントロールできるわけではありません。
人事を尽くして天命を待つ、というわけです。

内側の努力は違います。
内側では、自分のあるがままの状態から逃げずに、変えようとせず、その代わりにあるがままの状態に気づき、それを体験することが努力になります。
目標を設定し、それを達成しようと努力することは、内側の世界では、逆に問題を起してしまいます。
例えば、幸せでいるという目標を立てたとします。とすると、幸せでない自分を幸せにしようとする努力が内側で起こります。それは、幸せでないという自分の現実を否定することになります。「あるがままの自分」と「あるべき自分」の分裂、葛藤が生まれます。
このようにして、わたしたちは、外側の世界での「何かをしようとする」努力を内側に適用して、混乱し、苦しんでいます。

例えで言えば、空を飛びたいと思ったときに、飛行機に乗ったり、パラグライダーに乗るのは、適切な努力を行い、その結果目標を達成したことになりますが、自分の髪をつかんでひっぱり上げることで空を飛ぼうとしても、決して宙に浮かびません。

外側の世界は、主体と客体の2元的な世界ですから、主体が客体に働きかける努力によって客体に変化を起せます。
しかし、内側の世界は、本来は、主体だけの1元的な世界です。そこに外の世界のような努力を持ち込むと、「働きかける私」と「働きかけられる私」という分裂を生み出してしまいます。

内側で、わたしたちは常に心理的苦しみから逃げようとしています。
(参照http://blog.livedoor.jp/anandtao/archives/2009-05.html#20090528
「苦しみから逃げようとする」努力こそが、分裂、葛藤を生み出しています。
それに気づき、逃げずに、あるがままを体験するとき、それは苦しみでなくなります。
内側のあるがままから逃げないという意図を持って、気づく努力を続けていくとき、内側は自然に成長していきます。

草は自ずから成長するわけです。

この内側の意図と努力が自力であり、その結果自然に成長が起こるのが他力であるのでしょう。

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