ここで、何度か、書いていますが、
わたしたちがいかにして自分の内側にある苦しみから逃げ回っているか、
そのことを改めて、簡単に書いておこうと思います。
1非難する
他人、状況、社会、はたまた自分、いろいろなものを非難することで、内側の苦しみを紛らわそうとする。
例えば、あいつが悪い!
2理由付けする
どうして苦しいのか、その理由をああでもない、こうでもないと考えて、苦しみから自分の注意をそらそうとする。
例えば、前世のカルマなんだろうか、と考え込んだり。
3意味づけする
苦しみをテーマにして、いろいろなストーリー、意味を考えます。
例えば、ぼくなどは、「ブッダは生をドゥッカ、苦しみと言った。確かにその通りだ・・・」などともっともらしく悩んでる自分がただ苦しみから気をそらしているだけだと気づいて、赤面などしたりもしたっけ。
4活動に没頭する
タバコ吹かしたり、TVをつけてみたり、食べに走ったり、爪を噛んでみたり、お酒に手がのびたり。
そして、わたしたちは、この1から4をいろいろと組み合わせて、自分自身を忙しくさせて、自分の内側の苦しみから逃げ回っています。
逃げ回るのをやめたときから、成長が始まります。
あるがままの自分を感じ始める旅が始まります。
心の革命が静かにスタートします。
これまで苦しみだと思って逃げ回っていたものの本当の姿を、あるがままに感じることで理解していきます。
それは愛というエネルギーであったことが、少しずつわかってきます。
逃げ回ることなどなかったことがわかってきます。
それが自分の人生の責任を取ることだと思います。
責任を放棄し、責任を自分以外のものに押し付けている限り、わたしたちは、苦しみから逃げ回るという人生一番の苦しみから解放されることはありません。
なんだか長々と書いてしまいました。
つまるところ3語につきるのですが。
Love is Answer.
愛が答
その次に技術革命が起こるのでしょう。
と同時に、社会科学、とりわけ、経済学革命が起こってくるでしょう。
それを実体化するのが革命化されたビジネスでしょう。
友愛と自由の原則で結びついた自覚ある人たちによるチームワーク。
その兆しは、周囲のあちこちに生まれてきています。
あわてず急がず、目の前の生を丁寧に生きて行きましょう。
しっかりと自己の責任を取ることによって自由で意図的であるという生き方。
それこそが天に委ねていく自己放棄的な生き方であるという矛盾的な美しさと不可思議さ。
またまた3語から逸脱してしまった。
おやすみなさい。
明日も素晴らしい一日を。
考えこんでしまいました。
4つの逃げ回るスタイルはわかりました。私が無意識に、意図的につかっているスタイルです。
内側の苦しみが、即「愛」に直結してしまうのですか?
「愛」を、私は「苦しみ」と受けとっているだけですか?
このテーマはなんども書かれているのですね?
以前の日記を拝読させていただく必要があるようです。
ありがとうございました。
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Mayさん
先を急ぎ過ぎたかもしれません。
苦しみから逃げ回ることが苦しみである。
苦しみから逃げる4つのパターンに気づき、逃げ回ってみた苦しみと向き合ってみてはどうか。
そうすると苦しみだと思っていたものが、実は苦しみでなかったりして。。。。。
というお誘いだったりします。
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