インドの伝統的儀式について、自分の考えを述べましたが、
一番大切なことを伝えることを忘れたので、念のため補足しておきます。
インド的な儀式への違和感があるとしたら、それは結局、盲目的な信仰と見えるものへの違和感から
来ているのではないかと思います。
そして、先ほどの僕の説明では、それは盲目的信仰から来ているのではなく、古来からの経験的叡智から
きている合理的、体験的根拠から行われていることを示したつもりです。
そのことを情報として理解してもらうことは大切なのですが、自身の成長にとって一番大切なことは、
その違和感にしっかりと気づき、その違和感をしっかりと体験することです。
違和感は変化への抵抗です。
いまの自分がいまの自分でなくなるという恐怖感が起こります。
その恐怖感にただ気づき、変えようとしたり、押さえようとしたり、戦おうとせずに、
そのまま体験する、自分の抵抗感、恐怖感とひとつになることが、一番大切なプロセスになります。
抵抗が苦しみで、ワンネスがないときに抵抗があります。
ワンネスがあるとき、抵抗がありません。
そして抵抗なく経験する時、恐怖感の正体がなんであるか、自分で体験的に知ることができます。
ワンネスは、外側の何かの権威に服従したり、受け入れることで、苦しみから解放されようというプロセスではありません。
ワンネスは、自分の内側の苦しみをあるがままに体験する、ひとつになることでその苦しみから解放されていく経験的なプロセスです。
ディクシャ、アンマ・バガヴァン、あるいはその他のツールは、そのプロセスを手助けてくれる外部からの助けです。
ワンネスは、内側からの自然な変容、成長を自らが体験していく経験的なプロセスです。
このぶんしよう 最高です。
あなたの 明晰さがよくでています。
いま あなたがバガバンのもつともよきメツセンジ
ヤーですううううううううううううううーーー。
アリガトウ ありがとう 有難う。
いいねいいね
そじゃの~。
観つめると、
すでに仏に抱かれておるでの~
受容もジャッジも良いでの~
自力も他力も忘れたでの~
分離もワンネスもよかろうて~
あるがままでも執着も忘れたでの~
悟りも不悟も良いでの~
なにしろ、仏の胸の中じゃけんの~
我も汝もまぼろしじゃ
生くるも死ぬも幻じゃ
戦うものがないから、
幸せじゃ~
極楽、極楽での~
すまんでの~
いいねいいね