この土日で、香川県の実家に戻った。
父、母、弟をディクシャギバーにイニシエート。
兄貴とは、日曜日、実家の仏壇の前にパドカを置いて、ふたりでムクティディクシャを行った。
これで、妻と娘も加えて、全員がディクシャギバーになった。
うどんは土曜日に2玉半、日曜日に3玉、月曜の朝に2玉。
夜は、筍の刺身、煮物、天ぷらの筍尽くし。鯛の刺身、押し寿司も食す。
いつか実家の方でも、コースやディクシャ瞑想会を開きたい。
88歳の父親からモンブランの万年筆を譲り受けた。
83歳の母親からは、母あてに母のおかあさんが書き送った手紙を見せてもらった。
小学校しかでておらず、すでに目も悪くしていた祖母、タケヨさんの鉛筆の字は読みづらかったが、50年前の手紙は古びておらず、自分の娘にもとても丁寧な言葉使いで書いている祖母のこころが伝わってきて涙ぐんだ。
字を覚えたての兄が祖母宛てに書いた手紙の返事を、祖母は母に書き、それを兄に伝えるように頼む内容だった。ほとんど記憶になかった母方の祖母、タケヨさんんという人が、時と空間を超えて、目の前に蘇り、実際に出会っているようだった。
自分の娘にも、丁寧に、謙虚に語りかける古風な日本語は、美しかった。
それは言霊というよりも、もっと生き生きとした、言葉がその人そのものだった。
それは生と死を隔てる物理的な断絶を超えて在るいのちだった。
この週末、母は何度か泣いた。
ぼくはそれを十分に受け止められただろうか。
後何度、父母と会えるのかわからないが、大切に大切にその時を過ごしていきたいと思う。
taoよかつたね。
ほんとうにすばらしいことだ。
涙が出た。
ブッダもできなかつたことだ。
oshoにつずいたね。
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