
TakashiMiki: 知性とは、予断なく状況と向かい合い、そこから創造する、その一連のプロセスのことだ。

TakashiMiki: 予断のあるときには、すでにその予断によって状況を解釈しおり、その解釈の枠でしか反応できない。それ故、その反応は限定的であり、予断を超えることはできず、創造ではなく、過去の反復でしかない。それ故に、機械的であり、できることなら機械に任せればよい。

TakashiMiki: それゆえに、真にダイナミックな学びとは、常にこれまで学び、蓄積してきたものを忘れることの中から生まれてくる。自己を習うとは自己を忘れることなり。

TakashiMiki: 情報とは外部にある状況である。それ故、情報とは蓄積するものではなく、予断なく向かい合う情報環境である。そのとき人間は、情報を活かし創造的でいながら、同時に情報から自由である。
これまでの人類の歴史は、産業革命によって貧富の差が拡大し、機械化によって、失業が増え、さらに情報革命によって情報のストレスにまみれながら効率化の名のもとにさらに職場が奪われ、グローバル化によって、世界的な競争が激化してきたが、その歴史の進化した部分、テクノロジーの発展と、そのテクノロジーを人類全体の福利に活用していないという愚かな部分を観れば、自ずから次の時代の世界は見えている。
テクノロジーによって多くの人が機械的な肉体労働から解放され、さらに情報革命によって多くの人が、機械的な頭脳労働からも解放されてきている。この解放された多数の人々を、いまのまだ遅れた世界は、彼らの創造力を活かせないでいるだけでなく、失業者という形で苦しみさえ与えている。
そしてグローバルな分業によって、さらに効率的になった分、従来の労働から解放された人々の能力、才能も活かしきれず、失業と貧困という苦しみしか与えられていない。
なんて愚かなのか、だれでもわかる道理である。
これまでの経済は、より効率化され、自動化され、少人数の人たちによって運営され、その経済によって人類全体が豊かに暮らしながら、従来の労働から解放された人々は、さらなる富、豊かさを人類のために、新しい活動を始める。
みんながこれまで詰め込んできた常識という過去からの思い込みを一旦脇に置きさえすれば、人類のだれも置いてきぼりにも、仲間外れにすることもなく、人類が一緒に圧倒的に素晴らしく美しく楽しく豊かな世界へと進み出すことができるのだ。