日本がいつデフォルトになってもおかしくなことは明らかだ。
2015年度予算を家計に例えると、
年収545万円、借金368万円、パート収入49万円で、
借金返済234万円、生活費728万円、医療・介護費315万円、親への仕送り(地方交付税)155万円、家の修繕費59万円、教育費53万円、防犯費49万円の合計963万円の暮らしを賄う。
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_yosanzaisei20150114j-03-w430
そして家計の借金は今年末には1億1670万円に膨らむ。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL10HQ8_Q5A810C1000000/
デフォルトがどのようなきっかけで起こるのか、ぼくにはよくわからないが、どこかで破綻するしかない刹那的でどこかやけっぱちな暮らしを我々が行っていることは確かである。
そのことをだれもが無意識に感じているのではないだろうか。
立花隆さんは、ある本のあとがきで、財政破綻は自分たち戦中派が生きている間に起こったほうがよいと書いていたことを思い出す。敗戦で何も無くなって大変ではあったが、妙にすがすがしく自由な気持ちを感じていた自分たち世代が、デフォルト後の大混乱で役に立つだろうからと。そんなことを読んだ記憶がある。
ここでは、デフォルト後にどんな新しい暮らしをしていきたいのか、そのことに絞って考えていきたい。
僕自身、デフォルト後の世界を考えることにわくわくしている。デフォルトが、ゼロベースで新しい社会について自由に考え、創り出していく絶好の可能性と機会を私たちに与えてくれるからだ。
いまの制約の中で最善の解を探すのでなく、いまの制約を超えて、自分たちが本当はどんな風に暮らしていきたいのかを考えて、それに向かって動き出すのってすごく楽しくない?
与えられたゲーム、しかもつまんないゲーム(おっと失礼!)をプレイするのではなく、面白いゲームを創り出すというゲームをプレイする方が面白いよね。
そのことに気づかせてくれた原田武夫さんにはこころから感謝し、お礼をのべたい。
https://www.facebook.com/takeo.harada1/posts/10207385741184794?comment_id=10207392476993185¬if_t=like
原田さん、ありがとう。
大切にしたい新しい社会のポイントをまず挙げてみよう。
<地球、自然と調和した社会>
人類は、ひたすら経済成長するために自然と人を搾取し続けながら、がん細胞のように増殖し、地球全体を覆い、食い尽くそうとしている。いまの人類の活動を支えるには本来地球1.5個分が必要であり、すで0.5個分オーバーして地球の資源を再生不能にまで食い散らかし、滅亡かブレークスルーの瀬戸際に来ている。
http://www.wwf.or.jp/earth/
人類もまた他の自然と同じように循環するサイクルへと回帰し、持続可能な自然も人も搾取しない宇宙船地球号の乗務員としての責任ある美しい役割を果たすことができるのだ。
<ヒエラルキーのない自由で個人が尊重される社会>
戦後の大量生産に向いたヒエラルキー型の組織の中で個人の自由な創造性が封じ込めらている。自由がない組織は硬直し、外部の環境変化に対応できず、自己保身という自家中毒を起こし内部から腐敗しているのがいまの日本の組織ではないだろうか。
世界がダイナミックに多様に変化している中で、ひとりひとりがそのままで尊重され、個人の多様性と創造性が自由に発揮されるネットワーク型のダイナミックな社会こそが柔軟に生き残っていくだろう。
<平和で安心な社会>
「人」という字が表すとおり、人は支え合い、寄り添いあって生きる生き物だ。しかし私たちはいまそのことを忘れて、分離感、孤独感とともに生きていないだろうか。お互いに支え合っていることが実感できる社会こそ本当に平和で安心な社会である。分離感の先にあるのが格差であり、差別であり、戦争であり、分離感の消えたときに平和がある。
この3つの目標をどのように達成するのか、それをこれからフリーハンドで考えていく。
(続く)