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ノーベル文学賞受賞の講演でアメリカの国家犯罪を厳しく断罪したイギリスの劇作家ハロルド・ピンター

haroldpinter

2005年のノーベル文学賞を受賞した劇作家ハロルド・ピンター氏が、授賞式でのスピーチでアメリカを厳しく断罪したことを知った。その中でニカラグアのサンディニスタ革命政権とアメリカの交渉の席上で彼自身が体験したことを語っている。

ぼくもちょうどサンディニスタ革命後のニカラグアで平和行進に参加した時に、ニカラグアの人々が喜びと誇りを持って新しい社会について語りかけてきたことを思い出した。

アメリカが無垢なる人々を抑圧し、殺戮し、世界を支配している現実を、曇りなき眼と真実に対する妥協のない姿勢で語っている。

ひとりでも多くの人に彼のノーベル章授賞式のスピーチを読んでもらいたい。真実に直面してもらいたい。
真実から目をそらさないならば私たちの中の良心は強く成長し、真実と嘘の違いを見分ける精神は研ぎ澄まされていくだろう。
真実から目をそらし、嘘偽りの甘い言葉を受け入れるならば、良心は鈍磨し、自己欺瞞の中で精神は腐っていくだろう。

アメリカのプロパガンダ報道をそのまま垂れ流し、国民を洗脳している日本のメディア関係者は、ハロルドピンターのこのスピーチをどんな気持ちで読むのだろうか。彼らに良心は残っているのだろうか。仕方がないという呪文で自己欺瞞の中に沈んでいる彼らが、真実を語る時は来ないのだろう。もし彼らに良心が残っていたら、これまでに真実を語っているだろうから。そのチャンスは何千回、何万回もあったのだ。

 そんな世界の中で、ノーベル文学書授賞式でこのような講演を行う人がいたということを遅まきながらも知ることができたことが嬉しかった。

彼が2008年12月24日に亡くなったことも今日、知った。享年78歳。美しい人に合掌。

*以下ハロルドピンターのスピーチの1部から(大沼安史氏訳)

全文
http://onuma.cocolog-nifty.com/…/…/for_the_record__962d.html) 
原文
http://www.nobelprize.org/…/laure…/2005/pinter-lecture-e.pdf

「戦後、ソ連や東欧全域で何があったか、誰もが知っています。組織的な暴行、広汎な残虐、独立した思想に対する容赦のない弾圧。すべては完全に記録され、確証されました。
 
 しかし、わたしが言いたいのは、同じ時期、米国が行った数々の犯罪は、表面的に記録されているだけだということです。文書化もされなければ、認められもせず、そもそも犯罪を犯したことさえ気づかれずにいる。これはきちんと決着をつけるべきことであり、そこで明かされるべき真実は、わたしたちの世界がよって立つものに相当な影響を及ぼすものと、わたしは信じています。ソ連という存在によって、一定程度、抑制されていましたが、世界各地での米国の行いは、好き勝手なことができる白紙委任状を自分たちは得ているのだと自ら結論づけていることを、はっきり示しています。

 主権国家を直接的に侵略することは、たしかにこれまで、アメリカ好みのやり方ではありませんでした。アメリカはこれまで、主として「低強度紛争」といわれるやり方を好んで来た。低強度紛争とは、爆撃で一撃のもと死ぬのではなく、より緩慢(かんまん)に数千人の人びとが死んで
いくことです。それはある国の中心を侵し、悪を増殖させ、壊疽(えそ)が広がるのを見ていることです。人びとが制圧され――殴り殺され――それは同じことですが――たあと、権力の座に快適に座る、あなた方の友人たち、軍や大企業のみなさんが、カメラの前に出て来て、デモクラシーが勝利したと言う……。これはわたしが言及した戦後期の米外交に共通するものです。

 ニカラグアの悲劇は、高度に重要な事例です。わたしはこれを、世界における自分の役割をアメリカが当時も今もどう見ているかを示す、有効な例として提示したいと思います。
 
 1980年代の終わりごろのことでした。わたしはロンドンの米国大使館での会議に参加していました。
 
 米国の連邦議会・上院は、ニカラグア政府に対するコントラの攻撃への資金援助を増額すべきかどうか、まさに決定しようとしていたときでした。わたしはニカラグア政府のために発言する代表団の一員でした。そのなかで、もっとも重要なメンバーは、ジョン・メトカルフ神父でした。対する米国代表団のリーダーは、レイモンド・ゼイツ(当時は大使に次ぐポストにあり、その後、大使に昇格しました)でした。メトカルフ神父は言いました。「議長。わたしは、ニカラグアの北部の教区を預かっている者です。わたしの教区の信者たちは、学校を建て、健康センターを開き、文化センターを開設しました。わたしたちはこれまで平和のうちに暮らして来たのです。数ヵ月前、わたしたちの教区を、コントラの部隊が攻撃しました。彼らは全てを破壊しました。学校を、健康センターを、文化センターを。看護婦や女教師を凌辱し、最も残酷な方法で医者を殺した。野蛮人のようなふるまいでした。こうした恐るべきテロリストの行為への支援をやめるよう、米国政府に要求していただきたい」

 レイモンド・ゼイツは分別があり、責任感があり、高い教養を備えた人物として、評判がとてもよかった人です。外交サークルでは非常に尊敬されていました。彼はじっと聞き入り、息をついだあと、重々しく、こう言ったのです。「神父さま。わたしにも言わせてください。戦争では、罪もない人びとが常に苦しむものです」。凍りついた沈黙があとに続きました。わたしたちは、まじまじと彼の顔を見ました。しかし、彼はたじろぎませんでした。

 その通り。罪もない者が常に苦しんでる……。

 誰かが最後、こう言いました。「しかし、この場合、その『罪もない人びと』とは、あなたがたの政府によって支援された、恐るべき残虐行為の犠牲の一部です。上院がもし、コントラにもっと資金援助することを許せば、同じような残虐行為がもっと起きる。これは重大なことではないのですか? あなたがたの政府が、主権国家の市民の殺害と破壊行為の支援に、責任がないとでもいうのですか?」

 ゼイツは動じませんでした。「提示された事実があなたの主張を支持していることに、わたしは同意しません」と言いのけました。

 米国大使館を退去するとき、ひとりの大使館員がわたしに近寄って来て、わたしの劇を楽しんでいる、と言いました。わたしは返事をしませんでした。

 わたしはみなさんに、当時のレーガン大統領の以下の言明を思い起こしていただきたいと思います。「コントラは、われわれの建国の父たちと道徳的に等価である」

 米国は40年にもわたって、凶暴なソモザ独裁政権を支え続けました。サンディニスタに率いられたニカラグアの民衆は1979年に体制を転覆させました。息をのむほどの民衆革命でした。

 サンディニスタも完全ではありませんでした。傲慢さを世間並みに持ち、その政治哲学には矛盾点が数多く含まれていました。しかし、彼(女)らは知識を持ち、理にかなっていて文明化されていました。彼(女)らは、安定的で上質な多元的な社会の建設に乗り出していたのです。死刑も廃止されました。数十万の貧困にうちひしがれた農民が、死者の国から呼び戻されました。10万を超える家族に、土地の所有権が与えられました。2000の学校が建設されました。まさに特記にあたいする識字キャンペーンが展開され、この国の文盲を7人に1人まで減らしたのです。無償の教育も確立しました。無料の医療サービスも受けられるようになった。幼児死亡率は3分の1、下がりました。小児麻痺は根絶されました。

 米国はこうした成果を、マルクス・レーニン主義による体制転覆だと非難しました。米国政府にとって、危険な前例が生まれてしまったわけです。もし、ニカラグアに社会的・経済的な正義の基本的な規範の樹立を許したならば、医療ケアと教育水準の向上と社会的な団結と国民的な自尊の確立を許したならば、近隣諸国も同じ問いを問い始め、同じことを始めかねない……。実際のところ、当時、隣国のエルサルバドルでは、支配の現状に激しく抗議する抵抗運動が起きていたのです。

 わたしは先ほど、わたしたちを包み込む「嘘の織物」についてお話しました。レーガン大統領はニカラグアのことを、「全体主義の穴倉」だと言い続けました。これをメディア一般は――英国政府は、正しく、公正なコメントとして――取り上げていたのです。しかし、事実は、サンディニスタ政権の下、暗殺団というものは存在しませんでした。拷問の記録もありません。組織的、あるいは軍隊による公的な残虐行為の記録もありません。ニカラグアでは(サンディニスタ政権下)ひとりの神父も殺されませんでした。それどころか、政府部内にジェスィットが2人、マリークロールの宣教師1人の計3人の神父が参加していたほどです。全体主義の穴倉は、隣のエルサルバドルやグァテマラにあった。米国は1954年、グァテマラで、デモクラティックに選出された政府を崩壊させ、その後の軍事政権の支配下、20万人を超える人びとが独裁の犠牲になったと推定されています。

 サンサルバドルのセントラル・アメリカン大学では、最も著名な6人のジェスィットが、米国のジョージア州フォート・ベニングで訓練されたアラカルト連隊の大隊によって、1989年に無残に殺害されています。とても勇敢なロメロ大司教は、ミサで説教していたところを暗殺されました。7万5千人が殺されたと推定されています。彼(女)らはなぜ、殺されなければならなかったか? よりよい生活は可能であり、達成されるべきだと信じたから、殺されたのです。そう信じた者は、すぐさま、共産主義者とみなされました。彼(女)らはなぜ、死んだのか? それは現状に対し――際限のない、貧困と病気、腐敗と弾圧の高みに対し、問いを投げかけたからです。それが彼(女)らの生まれつきのものだと言われていたものに。

 米国はそのサンディニスタの政権を最終的に崩壊させました。何年もかかりました。かなりの抵抗もありました。しかし、容赦のない経済的な迫害と3万人もの死が、遂にニカラグアの民衆の意気を殺(そ)いだのです。彼(女)らはふたたび、疲れきり、貧しさにあえぎ出したのです。カジノが舞い戻って来ました。無償の医療と教育は終わりを告げました。巨大企業が復讐心をみなぎらせて帰って来た。「デモクラシー」はかくして広がったのです。

 しかし、この「政策」は中央アメリカに限ったことでは決してありません。全世界で実施されて来たものです。終わりのないものですが、まるで、なかったかのようなものでもあります。

 米国は第2次大戦後、多くの場合、世界の右翼軍事独裁政権をつくって来ました。わたしが言っているのは、インドネシア、ギリシャ、ウルグァイ、ブラジル、パラグァイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グァテマラ、エルサルバドルのことです。そして、もちろん、チリのことも。1973年、米国がチリにもたらした恐怖は、忘れることができないものであり、決して許されないことです。

 こうした国々では数十万の人びとが死亡しました。ほんとうに起きたの? 全部が全部、米国の外交政策のせいなの? 答えはイエス。それは実際に起き、アメリカの外交のせいなのです。しかし、みなさんは知らずにいた。

 だからそれは起きなかった。なにひとつ、起きなかった。それが起きつつある時でさえ、それは起きなかった。どうでもよかった。なんの関心もなかった。
 これらの米国の犯罪は、組織的であり持続的であり、悪意に満ちて情け容赦のないものでした。にもかかわらず、それについて発言する人はほとんどいなかった。すべてをアメリカの手に委ねてしまわなければならなかった。アメリカは一方で普遍的な善のための力を偽装しつつ、世界中で権力の臨床操作を行って来たのです。それは、頭のいい、機知にさえ富んだ、すばらしい成功を積み上げて来た催眠術でした。

 わたしは米国こそ、疑いなく、巡業中の最も偉大なるショーであると言いたい。残虐で冷淡で、嘲りに満ち
容赦のないところがあるにせよ、非常に賢い。セールスマンとして旅に出ており、その最も売れ筋の商品が自己愛なのです。米国は勝利者です。アメリカの大統領がテレビでいう言葉を聞いてごらんなさい。「アメリカのみなさん(The American people)」という言葉が、次のような文章のなかで出て来ます。「アメリカのみなさんに向かって、わたしはいまこそ祈りのときであり、アメリカのみなさんの権利を守るときであると言いたい。そしてわたしはアメリカのみなさんに、いまアメリカのみなさんのために行動を起こそうとする、あなたがたの大統領を信じてほしいとお願いしたい」

 眩いばかりの戦術です。実際問題として、思考を窮地に追い込むべく、言葉が使われています。「アメリカのみなさん」という言葉は、なんども安心させる、ほんとうに官能的なクッションです。考える必要などありません。クッションに身をゆだねるようしていればいい。そのクッションは知性と批判精神を窒息させるかも知れませんが、とても気持ちのいいものなのです。もちろん、この言葉は、貧困線下にあえぐ4000万人のアメリカ人や、米国各地に広がる牢獄につながれた200万人の男女に当てはまるものではありませんが……。

 米国は最早、低強度紛争のことで頭を使うこともありません。口を噤んだり、遠まわしの言い方で逃げることに意味を見出さなくなりました。恐れることなく、あるいは親切心もなく、テーブルの上にカードを曝(さら)け出すようになっている。米国が無力で無関係とみなす、国連や国際法、批判的異見など、どうでもいいものと、ただただ思っているのです。そしてそれは、弱々しい子羊を背後に引き連れている。病人のように無気力な英国という羊を。

 わたしたちの道徳感覚に、いったい何が起きたのでしょうか? そもそも道徳感覚を持ったためしがあったでしょうか? いまやこの言葉にどんな意味が残されているのでしょう。最近はきわめて稀(まれ)にしか使われなくなった良心という言葉を指しているのでしょうか? 自分の行動だけでなく、他者の行動の責任を分かち合う、良心? すべては最早、死に絶えた? グアンタナモ・ベイを見なさい。数百人にも人びとが3年以上も、自分の罪状さえわからず、弁護士もつかず、正当な法の手続きをなく、機械的に永遠の囚われ人になっています。この完全に不法な機構は、ジュネーブ条約を無視して維持されている。それは容認してはならないものであるばかりか、いわゆる「国際社会」にとって、考えられないことです。この犯罪的な非道は、自分自身を「自由世界のリーダー」と称する国によって行われていることです。グアンタナモ・ベイの住人を、わたしたちは考えてみることがあるでしょうか? 彼らについて、メディアは何と言っているか? 新聞の6ページあたりに、小さな記事がたまに顔をのぞかすくらいです。彼らはそこからの生還がかなわないかもしれない無人の地に放り込まれているのです。彼らの多くが、いまこの瞬間もハンガーストライキを行っています。強制的に栄養を投与されています。英国人も含まれています。この強制投与にはなんの気配りもありません。鎮静剤ももらえなければ、部分麻酔もかけてんもらえません。チューブを鼻から喉へ通すだけです。血を吐いてしまいます。これは拷問です。これについて、英国の外務大臣は何と言っているか? 何も言っていません。英国の首相は何と言っているか? 何も言っていません。米国がこう言っているからです。グアンタナモ・ベイのわれわれの行為を批判することは、非友好的な行為に他ならない。お前たちは味方なのか、敵なのか? そう迫られてブレアは口を閉ざすのです。
 
 イラク侵略は、無法者の行為です。国際法の概念を絶対的に侮蔑する、あからさまな国家テロリズムです。イラク侵略は、嘘の上に嘘を重ね、メディアを――ということは公衆を――操作したことで喚起(かんき)された、恣意(しい)的な軍事行動です。ほかの口実がみな失敗したので、最後の手段として引っ張り出して来た、解放という仮装を纏(まと)いながら、中東におけるアメリカの軍事・経済支配の強化を狙った行動なのです。
 数千人もの罪もない人びとの死と人体損傷に責任を負う、軍事力の圧倒的な行使。

 わたしたちは拷問を、集束爆弾を、劣化ウラン弾を、手当たりしだいの無数の殺戮(さつりく)を、悲惨を、生活破壊を、死を、イラクの人びとにもたらしました。そしてそれを「自由と民主主義を中東にもたらす」ものだと言った。

 大量殺戮者、そして戦争犯罪人と彼らが呼ばれるようになるまで、いったいどれくらいの人間を殺さなければならないのか? 10万人? わたしが思いつく限度を超えた数です。だからこそ、ブッシュとブレアを国際刑事裁判所の法廷に立たせることは、正義にかなっていることです。しかし、ブッシュは賢かった。国際刑事裁判所条約を批准しなかったから。それゆえ、もしアメリカの兵士や政治家が法廷に立たされようものなら、海兵隊を送り込むと、ブッシュは警告することができたわけです。しかし、トニー・ブレアは条約を批准しています。だから、訴追(そつい)もあり得ます。わたしたちは、もし国際刑事裁判所が関心を持つなら、ブレアの所在を知らせることができます。ロンドンのダウニング街10番地にいますと。

 こうした文脈のなかで、死は無意味化されます。ブッシュもブレアも、誰が死のうとお構いなし。イラク人の武装抵抗が始まる前に、少なくとも10万人ものイラク人がアメリカの爆弾やミサイルで殺されました。死んだ人びとは、見向きもされなかった。彼(女)らの死は、存在していません。空白のままです。死んでいる、と記録もされない。「われわれは死者のボデー・カウントをしない」と、アメリカの将軍、トミー・フランクは言いました。

 イラク侵略が始まって間もないころ、イギリスの新聞の第1面に、トニー・ブレアがイラクの小さな男の子の頬にキスしている写真が載りました。写真説明はこうでした。「感謝する少年」。それから数日後、新聞の奥のページに、両腕を失った、別の4歳の男の子の話と記事に掲載されました。少年の家族は、一発のミサイルで吹き飛ばされていたのです。そして、この子だけが助かった。少年はこう言いました。「ぼくの腕をいつ返してくれるの?」。その記事はその後、削除されました。そうです、ブレアはその子を抱かなかった。腕や足をなくしたどんな子も、血まみれのどんな死体も、ブレアは抱きませんでした。血は汚れているのです。血は、テレビで誠実そうに演説する、シャツやネクタイを汚すのです。」

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