本日つなぶちさんが主催する「未来市場創造会」という集まりで
「瞑想が創る未来 向き合っていない恐怖が未来を阻む」というテーマで少し話をする機会をもらいました。
http://www.futuremarketcreation.com/event/?p=569
集まってきている人たちがとても面白い人たちで、ビール片手にみんなで語る雑談が刺激的でした。
直接テーマに関係はなかったのですが、早速、今の関心事である「公共貨幣貨幣」についても話をしたところ、会に元銀行マンの人が出席しており、なるほどと思う鋭いフェードバックをもらいました。
民間銀行によって勝手に信用創造することで社会全体のお金の量が増えたり、減ったりすることで経済が不安定になることを解決するためにも公共貨幣が提案されているのですが、民間銀行が信用創造ができない場合、新しいイノベーションを生み出す投資のお金がどのように調達されるのかという問題が出てくるという指摘です。
山口さんの公共貨幣のプランでは、銀行が貸し出し、投資に回せるお金は、預金者から預かったお金に限定されます。つまり社会全体でだぶついて預金に回ったお金が新たなイノベーションを起こすために投資に回りますが、それ以上のお金を必要とする事業に挑戦することができなくなります。
もしそのような場合に、公共貨幣を発行する機関が投資するかどうかを決めて実際にお金を作るということにすると、今度は、投資するしないの判断をその機関だけが決定することになり、社会主義計画経済と変わらなくなります。
それに対して元銀行マンの方の提案も面白いものでした。
電気事業における発送電分離方式と同じような考えに基づき、民間銀行が現在持っている為替業務と融資業務を分離し、為替業務は公的な業務なので国の事業にする。
民間銀行は融資業務だけとして、自己責任で信用創造によって新たなお金を作って融資事業を行う。失敗したらその責任を負う。
いまの民間銀行が融資事業に失敗し、巨額の赤字を生み出しても、金融安定化という名の元で国民の税金でその赤字を埋めるということが起きている。銀行が為替事業を独占しているので、銀行は潰せないということになる。
しかし為替事業を公営化、国営化しておけば、融資に失敗した場合は、銀行は自己責任で倒産してしますことが可能になってくる。
実際の日々の決済を行う為替業務は社会のインフラともいうべき公的な役割を持っている。
これが公営化、国営化していると為替業務がストップするというような壊滅的経済的混乱は避けられる。
この観点から考えると、現行の民間企業が無からお金を作って投資する方法は、自律分散的な信用創造であ流。
一方、公共貨幣という形で当局が無からお金を作って投資するとしたら、それは中央集権的信用創造である。
イノベーションをどちらが起こしやすいかと問われたら、前者の自律分散型の信用創造ではないかと思う。
もうすこしこのあたりのことも考えてみたい。