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人を惑わせ、迷わせる教え

私たちは未来にもいないし、過去にもいない。
あそこにも、そこにもいない。

私たちはいつもいまここにいる。

いまここの主観的な体験には時間も空間もない。
いまここの主観的な体験から時間や空間という概念には実体がないことがわかるからだ。

私たちの主観が体験している対象的な世界には時間が流れている。その時間の流れに沿って対象的な世界は空間的に展開している。しかし私たちの主観的世界は常にいまここに動かずにある。

私たちは、普段、時間の流れに沿って空間的に広がる対象的な世界に注意のほとんどを向けているが、対象的な世界と主観的な世界のどちらがより本質的かと問うたならば、その答えは自ずから主観的な世界になるはずだ。

なぜならわたしという主観的な存在によって対象的な世界は経験されているからだ。

主観的な世界は常に私たちとともにあるが、例えば寝ている時、対象的な世界は存在していない。つまり対象的な世界は、私たちの主観的が五感を通して体験しているものだからだ。

であるならば、私たちの主観的な世界に注意を向け、その世界を知ることが決定的に重要になる。

そして主観的な世界を探求する時、自然科学と同じように実証的、体験的に知る必要がある。

ここまで長々と書いて来て、やっと今回書きたいことの本題にたどり着いた。

主観的な世界についての教えは、古来から現在に至るまでさまざまなものがある。
しかしそれらの教えのほとんどは、人を惑わせ、迷わせるものではないだろうか。

なぜなら、ほとんどの教えは、いまここにはない何か、それを真理と呼ぼうが、愛と呼ぼうが、マインドフルネスと呼ぼうが、あるいは悟り、幸せ、神、成功、夢、平和、無心、歓喜、どんな名前で呼ぼうが、何かを獲得するようにと説得しようとしているからだ。

いまこことは私たちの主観的な存在、このあるというリアルな体験だ。

わたしは存在しているという何の形容詞もつかない体験。

その体験は、時間もなく限りもない永遠の今だ。

その永遠の今の中に対象的世界が展開している不思議。

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