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ジャン・クライン『われ在り I AM』

年末から新年にかけてジャン・クライン『われ在り I AM』という本を読み、非常に感銘を受けたので一部紹介させてください。
ジャン・クライン Jean Klein
1912年10月19日、ドイツのベルリンで生まれる。
ラマナ・マハルシとクリシュナ・メノンの伝統を継ぐアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論・学派、哲学)のマスター。
ノンデュアリティー(非二元)に関する著作が多数ある。
インドで数年間過ごし、アドヴァイタとヨーガを深く究めた。
1955年、ノンデュアリティーの真理を体得。
1960年からヨーロッパで、その後にアメリカで指導を始めた。
1998年2月22日他界。
現代社会は競争や獲得、攻撃や戦争などの源である、部分的な個性を重視します。そして、私たちはますます特殊化するように促されます。それによって、私たちは自分の全体的な本質から引き離されてしまいます。しかし、支配や断定、操作などが知恵や健全な社会をもたらすことは絶対にありえません。それどころか、個性や個人的な資質は叡智の光、愛 、調和などを押し隠してしまいます。私たちの社会は暗闇の中で生きています。しかし、愛と叡智は限りなく忍耐強く、時が始まるよりも前からずっと変わることなく存在し続けています。」

「思考を分離した実体とみなすと、大部分の人がそうしているように、思考を攻撃や防衛のための道具として使うことになります。確かに思考は過去、すなわち記憶からできていますが、それは自分自身の限界をはっきりと自覚することができます。ですから、思考とは静寂から生まれ静寂の中に消えてゆきます。したがって、思考の機能とは、思考が生じた場所、つまり思考不可能な究極のものを指し示すことなのです」

「自我は数多くある思考の中の一つに過ぎません。自我は記憶の、すなわち過去の産物です。自分は分離した実体であると信じて、自我はスクリーンを作り、その架空の存在や架空の連続性を脅かしそうなものすべてに抵抗します。この信念こそが不安や心配、分裂した行動などの原因です。」

「自我は必死に生き延びようとして、蓄えた記憶にしがみついたり将来に欲望を投影したりします。そしてその結果、大量のエネルギーを使い果たします。蓄積、選択、同化などはすべて一つの地平で、つまり時間と持続の中で起こります。そのエネルギーは常にそれ自身に戻ってきて悪循環を生み出します。この動きや分散、あるいは過去と未来との振り子運動に巻き込まれずにいると、この習慣のパターンを維持していたエネルギーを休ませることができます。そして最終的に、私たちは自分を自由にしてくれる気づき(アウェアネス)を自覚できるようになります。そのとき、そのエネルギーは永遠の今の中に垂直に集まります。精神活動とは無関係で、過去といっさい関わりを持たず、肉体的もしくは心理的な習慣がまったくなく、選択も反復も行わない気づきだけが、自発的な理解への扉を開くことができます。瞬間的な理解は間違いを消し去り、かつて間違いをおかすために使われていたエネルギーは間違いから離れ、「在ること」としての真理に統合されます。」

「選択を伴わない純粋に自発的な行動、つまり無限の意識の行
動は、社会習慣的に道徳的か不道徳的か、あるいは肯定的か否定的かということとはまったく無関係です。道徳的な観点から発展した考えは、それ自体は分裂がなく、満ち足りているはずの行動を制限するだけです。自発的に行動が生じた場合、選択という形を借りた、その行動に相反する力はありません。選択があれば、選択する者、あるいは観点、行為者、思考者などがいます。しかし、本当に創造的な瞬間には、すべてが「私」に干渉されることなく起こります。物事はひとりでに生じるのです。そして、そのような行動こそ、全体的な行動なのです。」 

「結びついたり、束縛されたり、解放されたりできるのは、概念化された自我、対象化された私だけです。したがって、習慣や反応がなくなると、自由や隷属について語ることもできなくなります。」

「概念化や対象化はすべてエネルギーの投影であり、内も外もなくすぐ近くにある自分自身から離れていくことです。内と外、自由と拘束といった考えは単に心が考え出したものに過ぎません。したがって、そのような発明品はそれが虚偽だと判明すると、私たちが何の努力や訓練をしなくても消えてゆきます。あるのはただ、存在と知識と愛だけです。この生ける静寂から、実存の香りが漂ってくるのです。」

究極の欲求は欲求を持たずに生きることです。そこにはもう、何者かであるという考えが存在する余地はありません。このことを自分の中ではっきりさせてください。徹底的に真剣になってください。全身全霊で究極の欲求を生きてください。知覚されるものは何一つ、至福をもたらすことを約束できないのだと心の底から確信してください。」

私たちが人格から自由になり、いかなる目標も持たず、好き嫌いや選択をせず、自分の全体性を生きているときにしか、生命の完全な表現は現れません。条件づけをしないで生きているとき、私たちはその瞬間を、永遠に現存(プレゼンス)する「今」を生きています。過去についての考えも未来への憧れもないとき、私たちは自分を完全に生ききっています。この完全性から愛が流れ出し、愛からあらゆる行動が生まれます。」

「この世の中にある問題はすべて、自我から生まれたものであり、私たち自身の問題です。それらはまるで波のように次から次へと寄せては引いてゆきます。それらの問題を解決するために選ばれた専門家たちは、そもそも誰がそれらの問題を生み出したのかということを無視して、変化を起こそうとします。そのため、ある一つの場所で変化が起こっても、また別の場所で問題が生じるのです。しかし、正しいアプローチでは、何が問題を生んだのか、あらゆる葛藤の根源は何なのかを私たちは見つけ、一歩退きます。非個人的で全体的な観点に立つと、自我は問題と一緒に純粋意識、つまり注意深い気づきの中に再吸収されます。その後にはもう何一つ問題はなく、再び問題が起こることもありません。知性と正しい行動が生まれ、長続きする変化が起こるのは、この全体的に観点に立ったときだけです。」

真の自由を生きているとき、あなたは何も選択したり努力したりしないし、自分を定義したり評価したりする必要もありません。存在するものはすべて意識の中に現れます。しかし、意識が存在の中で消えてしまうことはありません。私はこのことをあなたに言葉で証明することはできません。また、他人から聞いた情報であなたがそれを確信することもないでしょう。ですから、それを生きて証明してください。そうすれば、自分の故郷がある見つかるでしょう。そのとき、そこには誰も感謝する者のない、感謝だけがあるでしょう。

あなたはこれでもあれでもありません。あなたはすべてを知る者、至上の知覚、根源にして無限の存在なのです。」

グルの言葉。
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