サピエンス、ホモデウスに続く彼の最新作。
環境破壊による地球的規模の危険とともにAIによるデータ独裁主義の危険性が差し迫っている時代に対して、人類はどのように対応していくべきかを語る。
20世紀が共産主義と自由主義という大きな二つの物語が争い、自由主義がかった時代。しかし21世紀になって、勝利し、唯一の人類の物語になったはずの自由主義、資本主義が内部から崩れてはじめ、それに代わる新しい物語がまだ生まれていないという問題意識から本書は始まる。
ハラリは、本書においてストーリーによって人類は共同でことに当たることができるようになり、生存競争に勝ち、進化することができたと語る。かつて吉本隆明が「共同幻想」と語ったように、ハラリは、ストーリーは人類の生存、進化に役に立ってきたが、それは同時に、虚構に過ぎず、またそれ故に問題を生み出してきたことを繰り返し論じる。
その例の一つとして、明治政府が、国家神道という新たなストーリー、共同幻想を作ることで、藩に分かれていた日本を国家という一つの共同体に短時間に効率的にまとめ上げ、富国強兵、そして戦争、ついには特攻まで国民を駆り立てたことを挙げている。
宗教に関してもその虚構性によっていかにキリスト教、イスラム教、その他の宗教が、人々を虐殺してきたか、その歴史を語る。仏教の例としては、戦中の日本の仏教界が、戦争推進に協力してきたことを例の一つとしてあげている。
とりわけ厳しく批判しているのが、ハラリが生まれたイスラエルを生み出したユダヤ教原理主義である。
そして宗教と同じく厳しく批判しているのが、現在、世界で自由主義の最終形態であるグローバリズムの物語に対抗しようと各国で盛んになっているナショナリズム、愛国主義である。ハラリは、これに関しても自分が身をもって経験してきたイスラエルのナショナリズムを一番の例にとって批判している。
21世紀、人間の脳をハックして、本人が自覚していない無意識の心理さえ、読み解こうとしている時代に、これまでのように新しい物語によって人類は次の時代へとはもはや進めないのではないかというのが、その次の展開である。このままではAIによって与えられる心地よい物語の中で幸せに人類はまどろむ時代へと突入するのではないかという危機意識である。
それはまるで映画「マトリックス」の世界のようだが、ハラリは、「マトリックス」も最終的にヒーローが幻想から目覚めるという意味で、理性的で合理的な個人の自由を信じる自由主義の物語の範疇にあると指摘する。
そして、ハラリは、今こそ「自分は誰でもあるか」という人類の永年に渡る根本的な問いに、どんな時代にもまして、一人一人が見つけ出さなければならないという。
その方法が、瞑想である。彼自身、2000年に初めて10日間のヴィパッサナ瞑想合宿に参加し、それ以来毎日2時間の瞑想と年に1回か2回の長期の瞑想合宿参加を続けている。瞑想がなければ、『サピエンス』も『ホモデウス』も書き上げることはできなかっただろうと明かしている。
瞑想こそが、物語、共同幻想に惑わされない、そしてAIによってコントロールされない自分自身を客観的に、直接的に観る方法だという21番目のレッスンで本書は閉じている。
ビル・ゲイツが本書を2018年お薦めの5冊の内の1冊にあげているが、ビル・ゲイツ自身も、最近、瞑想を始めているそうで、5冊のうちのもう一冊は瞑想の入門書をあげている。
ハラリは、現在の人類の状況を、世界的規模で問題が起きているのにそれに対応するために必要な世界規模のコミュニティができていないと語っている。
瞑想、あるいは私たちは、心の中で信じている、思い込んでいるさまざまな共同幻想を取り払った時に本当は何者であるのか、という人間の本質に基づいた地球規模のコミュニティを早急に作り上げる必要があると、本書を読んで改めて強く思ったし、その方向で、急速に人類は動き出しているという感触を持つことができたのが、1番の収穫だった。
https://www.amazon.co.jp/Lessons-21st-Century-Yuval-Harari/dp/1787330672