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自己、言語、社会について 言語社会学への試み1

自分の頭の中の言語=考えこそが自分の社会である。

次の社会は、言語=考えと自分の関係を自覚することから生まれる。
言語=考えの網の目に絡みとられ、考えを無前提に正しいと決めつけてしまった無意識な心が、苦しい制限された自我を生み出し、同時に自分の周りに不自由な社会を作り出しているという自覚。

その自覚から、制限されえない自由で幸福な自分とそれにふさわしい優しく思いやりのある社会が生まれてくる。

これが、自己、言語、社会について僕が探求したい主題である。

社会とはどこにあるのか。まず「社会」とは言葉でしかないことを確認したい。目の前に広がる現実は、自然と人々の営みとその営みの結果であるあらゆる人工物から成り立っているが、その具体的な姿があるだけで、実体としての「社会」はどこにもない。

では「社会」はどこにあるのか。言葉としてだけ「社会」は存在する。人と人との間での言葉としてのやりとりとしての「社会」。そして自分の頭の中で自分が使う言葉としての「社会」。その二つの場にだけ「社会」はある。より厳密に見ていけば、人と対話をしているときに「社会」という言葉を使ってその対話が成立しているように見えるときのその「社会」という言葉の自分の使い方、理解の仕方。ネットやテレビ、新聞、本などメディア上で使われている「社会」という言葉の自分の理解の仕方。そういうふうにして自分の頭の中にある「社会」という言葉に対する自分の理解、使い方が、「社会」である。

だから「社会」は、それぞれの人の自分の頭の中にある。そして私たちみんなが「社会」という言葉を共有し、互いに使い合う中で「社会」はあたかも私たちの外側に客観的にあるように見える。

そして私たちはあたかも外側に客観的にある「社会」に適応したり、はたまた順応したり、はたまたいやいやながら服従していると思っている。でも「社会」は実際には私たち一人一人の自分の中にしかないとしたら、それは変な話ではないか。

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