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本当に自由な社会へ向けて

現状の社会の中で多くの人が苦痛を感じているのは、社会が「人にやらせる」「人にやめさせる」という強制力の上に成立しているからではないでしょうか。


この強制力は、教育によって個人の意識に内面化され、善/悪、正しい/間違い、するべき/やめるべき等の社会規範となって内面から働き、さらに社会制度として共有されている「法律」「金」「所有」「権利」「義務」「責任」「交換」などの集合的なフィクションが外側から働き、さらには刑罰などの物理的強制力が背後に控え、常に一人一人に圧力をかけており、これらの一連の強制力が人を内面と外面から規制することで社会秩序が維持されているようにみえます。


この強制力の働いている社会の中で、個人的な「自由」の領域を少しでも広げようとして活動しているというのが、現状の社会の中の個人の姿ではないでしょうか。その中で、一部の人は、上から下へと働いている強制力の上流へとできるだけ這い上がり、できるだけ多くの個人的な「自由」を得ようとし、一部の人は、この上から下へと働いている強制力を人々が結集することで跳ね返し、集団として「自由」を得ようとしている。そして残りほとんどの人はこの強制力を仕方がないとあきらめて自分なりの「自由」で折り合いをつけて暮らしている。いずれの場合でも、社会の強制力をめぐっての獲得、対立、妥協の活動のように見えます。
しかし本当の自由な社会とは、この強制力によって成立している社会の構造自体を解体することではないでしょうか。


この強制力を基盤とする社会構造の核心は、ノヴァル・ハラリがいうところのフィクションを共有することで大規模な社会的集団になり得た人類の認知革命ではないでしょうか。

フィクションの共有といいますが、実際は、一人一人の人間が社会の中に生まれ落ちた瞬間から、この共有されたフィクションをあらゆる人たちから陰に陽に教え込まれます。共有すれば褒められ、共有しなければ叱られたり、仲間外れにされたり、罰を受けたりという飴と鞭の中で一人一人が育てられます。しかも強制力は、ほとんどの場合が、社会の中で不都合なく暮らしていけるようにという「善意」によって親から子へ、子から孫へと世代的に繼承されてきているところが、問題をさらに見えにくくしています。「善意」にカモフラージュされているがゆえに子供たちは飴と鞭を自分のためなのだと受け入れざるえないところがあるでしょう。


その結果、集合的なフィクション、概念、人間の考えによって人間の言動ばかりか心までが規制、抑圧されているのが、現状の社会の姿であり、それが、社会の基底を貫く強制力の正体であり、社会での息苦しさの原因ではないでしょうか。


であるならば、集合的なフィクション、概念、人間の考えによって、自分の言動や心が規制、抑圧されていることから一人一人の人が解放されることが、本当に自由な社会のための最初の一歩であり、多分、最後の一歩でもあるのではないでしょうか。


ではどのようにして解放されるのか。


集合的なフィクション、概念、人間の考えによって自分の言動や心が規制、抑圧されている有り様を観察してみると、自分が自発的に服従している姿がみえてきます。

飴と鞭、さらに同調圧力を受け続ける中で、社会で常識されること、考え方、社会制度、法律、ルールなどに自発的に服従して自分を守ろうとする心の動き、あるいはもっと積極的に服従して自分を有利にしようとする心の動きがあることがみえてきます。良い悪い、責任、義務、権利、自由、成功、失敗、努力、正義、不正義、平等、自立、依存などの社会的観念や社会心理的なものから、お金、所有、等価交換、利益、利子、時間、などなどの社会的フィクション、あるいは人生の目標、生きがいなども社会から与えられたものに、自発的に服従しているのではないでしょうか。いかに自発的であっても服従していること、これがわたしたちが内面で感じている強制力の正体であり、強制力の源泉、息苦しさの原因ではないでしょうか。


これが見えた時、つまり社会的フィクションによって自縄自縛になっているという自分の姿が見えた時、人は自由になっているのではないでしょうか。自らの生まれてきたままの自然状態を再び発見しているのではないでしょうか。


サイエンズメソッドは、一連の問いかけを、グループで自由にオープンに探求していく中で、この自縄自縛になっている自分の姿に気づいていく探求プロセスです。問答によって悟りに至る道を開発してきた禅にならって、ぼくがサイエンズメソッドを21世紀の禅と呼ぶ所以です。


とはいえ、社会的なフィクションの自縄自縛から目覚めても、現状の社会は、社会的フィクションへの自発的服従状態に戻そうとする力が常に働いています。その中で本当に自由な社会を作っていくには、自発的服従をしようと長年訓練されてきた心の動きに自覚的な人たちが集まり、本当に自発的に自主的にともに暮らしていくプロセスが必要です。そのプロセスから20年間の試行錯誤を繰り返しながら成長してきたコミュニティが、20万都市、鈴鹿の中で、自発的な人のオープンな繋がりをによって暮らしているアズワンです。

これも禅の例えていうならば、21世紀のサンガ(僧の集団)とも呼べるかもしれません。しかし21世紀のサンガは、一定の信仰も戒律も決まりもメンバーシップもありません。外との境界もなく、人の出入りも自由で、リーダーもなく、意思決定機關もありません。コミュニティを経済的に支えている「おふくろさん弁当」という社員50名ほどの弁当宅配会社と農業法人「鈴鹿ファーム」も上下や決まりもなく、すべてが話し合いで運営されています。何も特別なことのない、力の抜けた自然で普通な人間らしい暮らしです。この地味でありふれてた日常の中で豊かに幸せに伸び伸びと暮らしている150人ほどの生活こそが新しい社会の雛形ではないかと感じています。


抽象的な表現になってしまいましたが、アズワンにブラジル、韓国から留学している若い人たちが作った動画を見ていただくともっと具体的に感じが掴めると思います。


アズワンスタイル:「青年」Part 1 伸びやかなチャレンジ
https://www.youtube.com/watch?v=2DBmVDgFqw8

現状の社会を何とかよくしたいという強い気持を持っていらっしゃる人は多いと思います。サイエンズメソッドとアズワンコミュニティという21世紀の禅とそのサンガとも言える新しい社会作りのアプローチは、現状の社会の喫緊のさまざまな問題に直接取り組むものではなく歯痒い感じを持たれるかもしれませんが、人類が認知革命を通して、150人というような小規模な集団からグローバルな社会にまで繋がりを広げてきたところでぶつかっている現代社会の行き詰まりを、その根本原因から乗り越えようとしている実験的アプローチとして重要で面白い試みだと思いっています。

ぜひ、一つの非常にユニークな社会実験として多くの方にさまざまな観点から研究してもらえるといいなと思っていますし、関心のある方には、サイエンズメソッドを体験してみると面白いと思います。

アズワンセミナーhttp://as-one.main.jp/HP/seminar.html


一見は百聞にしかずということで、関心を持たれた方には、ぜひ、実際にアズワンコミュニティを訪れていただきたいと思います。定期的に体験ツアーというのも開催されています。

アズワン体験ツアーhttp://as-one.main.jp/HP/tour.html

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