前回、「トラウマ」のことを書いてひさしぶりに疲れてしまいました(笑)。
こだわりすぎだと自分のこと思いました。
こだわると、こだわる「自分」が強化されて、その一瞬は、なんていうんでしょうか、アドレナリンが分泌されるのでしょうか、ちょっと「何者かになったような」な気分になって、それも少し気持ちよかったりします(笑)。
しかし、結局、こだわった結果生まれた「自分」が、その後も「自分」として存続しようとして、いろんな「自己」主張を始めます。そうするとそれが内側、意識の中に「ああだ」「こうだ」という分裂を生み出し、それらが互いに主張しあって葛藤を生み出し、その挙句、へとへとになります。というかなりました(笑)
OSHOに起こったことを事実は事実として受け止め、アシュラムに起こった事実は事実として受け止め、それに左右されず、OSHOが教えてくれた公平無私の広大で自由で至福と愛と喜びと遊びに満ちた意識空間へと絶えず開かれていくことが、一番のOSHOへの恩返しであることを、不肖の弟子は、痛い目にあっては、あわてて思い出すのでありました(苦笑)。
合掌
拘りが悪いというよりも
その拘りの動機が問題なんだと思います。
優越感(支配欲)や怒り(憎悪)からではなく
愛と平和に基づくものであれば
の拘りは「祈り」になるのではないでしょうか。
ガンジーもマザーテレサも相当に頑固なタイプのように思えます。笑
でも、拘らない人の透明感は、またそれで美しいですよね。
色々なタイプ(役)の人がいるから世の中、面白いんでしょう。
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ドッキー
毎度すばらしいコメントをありがとうございます!
その通りですね。
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> 不肖の弟子
いいですね、タオがそう思うのなら誰に認められることでもなく、きっとリアルにタオはOSHOの弟子なんだろうなと感じます。
タオはいろいろと表面は派手に見えることもありますが、どこに行こうと何していても、常に自分自身にとても真剣にフォーカスして歩んできた人のように感じてます。それらのいろんな経験すべては何かの対象や人物に我を忘れて一筋になることなどよりも計り知れないほど重大な経験だと思います。
きっとあるときはドブに足を突っ込もうが、あるときは、ひっくり返ろうが、それでも誰の目も意見も気にせず、恐れず、わが道を歩んできたタオは素敵だと思います。そういうところ信頼してるし、何より、いままでも、うさんくさい理論や説教するのじゃなく、そこからオレに直接エナジーたくさんくれ、いろいろありがとうございました。
これからもよろしくね。
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ranjit
ありがとう。
一緒に遊ぼう
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