久高島は一日中雨と風。
午前中、海に出てみると海水は思いの外暖かかったので、宿に戻り、水着に着替えた。
タオルと脱いだ服を濡れないように岩の下に潜り込ませて海に入った。
半年ぶりの久高の海。途中からゴーグルは外し、海の中で目を開けて、海中で織りなされる光をじっと見つめながら波に揺られていた。
海から上がると傘をさして岩の下からタオルと着替えを出し、片手で傘を持ったまま身体を拭き、Tシャツとシャツを羽織った。
ハンザナシーのためにイシキ浜から北の浜やカベール岬には行けないが、ピザ浜で泳げたので気が済んだ。気が済むとは気が澄むことかと独り納得。
昼は「おけい」でいつものように沖縄そばとサンダーアンダーギー。今日は誰もお客さんがいなくておけいさんはヒマを持て余しているようにも見えた。少し話をして、また来ます、お元気でと挨拶をして別れた。
いつもは自転車を借りて北の浜辺や岬の方ばかりで過ごしていたが、今日は村の集落の中を歩いた。雨に濡れた石垣の色は濃くなり、木や草の緑はより鮮やかに輝いていた。 雨の音と波の音。
宿の本棚から2冊の本を抜き出して部屋に持って来た。
一冊は家で途中まで読んでそのままにしてある福岡正信「わら一本の革命」。もう一冊は齋藤陽道「写訳 春と修羅」結局読んだのは後者の本。宮沢賢治の詩、春と修羅を朗読してから、著者の「夜と歩いたこと」というエッセイを読んだ。面白かった。若松英輔の解説も面白かった。二人とも初めて知った写真家と批評家で、最近、文学関係からはすっかり遠ざかっていたので、面白い人たちが色々と出て来ているのだなあと感心したし、嬉しかった。
それは経済や政治よりも文化が大切にされなければならない。まず文化が変われば経済も社会も政治も変わる。だから新しい文化を創りたい。そんな話しだった。
「わら一本の革命」もいい感じなのだが、なかなか先を読み進められないでいる。
いつか読み終えるタイミングが来るだろう。
それはもう一冊の読みかけの本「音の神秘」も然り。
夜は、大阪から最終の船で久高島に戻って来た西銘さんと食事をしながら話し込んだ。
沖縄にまた頻繁に来ることになるかもしれない。