最便安座間港17時30分発のフェリーで久高島に入る。
乗っている人はほとんどいない。
今日からハンザナシーというお浄めの儀式が木曜日まで続き、イシキ浜より先は立ち入り禁止になっていた。 その説明を船に乗る前に受けた。
唯一行くことのできるピザ浜に向かったが、心なしか曇り空の浜辺は普段の久高島のよりも様々な漂流物が転がり、海も水が汚れた泡を含みいつもより汚れて見えた。これほど汚れている砂浜を見たことがない気がする。だからこそのハンザナシーなのだろうか。ハンザナシーを終えた久高の海はまたいつものように綺麗になるのだろうか。不思議な気がした。
暗くなったので港にある食堂「とくじん」で食事をし、店を出ようとした時に琉球新聞を目にした。
今日は本土復帰45周年の日。
沖縄の人々の深い憤りと悔しさ、悲しさ、苦しみが、何ページにも渡って新聞の中で表現されていた。
本土では、東京では、これらの想いがきちんと伝えられていただろうか。沖縄と福島のことについて書かれてある記事もあった。沖縄は薩摩藩に琉球処分で弾圧された。福島は薩長によって弾圧された。沖縄は太平洋戦争で犠牲となり、戦後は米軍基地を押し付けられた。福島は原発を押し付けられた。苦しみは今も続いているのに、日本の中央はその苦しみを我が事とせずに、無視し、果実だけを口にしている。
梅雨入りしたハンザナシーの久高島では夜更けから激しい雨になった。